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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (二代信枚の動向)

信枚時代の最大の事業は、慶長十五年(一六一〇)に幕府検使の検分を得て高岡に築城をし、翌十六年に城下の町割,この境目交渉の動きについては、残念ながら津軽側には資料がほとんどなく、秋田藩の境目交渉検使であった梅津政景,のもとに、来月五日ころに「すこの山境目」(青森県岩崎村と秋田県八森町の境界須郷の明神宮を指す)で両藩の検使,この後、比内矢立の境目交渉に移り、十月十九日に弘前藩側の検使と落ち合うことになる。
通史編2(近世1) (越後加増説)

この時、家臣の津田四郎兵衛が幕府の検使が到着する前に、高井郡鴈田(かりた)村の厳松院(長野県上高井郡小布施町雁田
通史編2(近世1) (信枚の築城)

弘前城築城が着手されたのは慶長十五年(一六一〇)のことで、一月に領内に人夫の割り当てを行い、二月に幕府から検使
通史編3(近世2) (強訴)

民次郎は弘前城下を馬に乗せられて引き廻しのあと、取上の御仕置場に到着し、岩川久太郎検使のもと、斬罪となった
通史編2(近世1) (烏帽子山紛争)

幕府は現地に検使を派遣し、係争地の検分も行った。,裁許状は検使の現地検分の結果が生かされたものとなっている。
通史編3(近世2) (切支丹類族)

この時、徒目付・足軽目付が検使となり、町年寄・町名主・月行事が立ち会い、死体は古箱に入れ、蓋を釘付にし
通史編3(近世2) (放火)

検使弾左衛門(だんざえもん)(穢多(えた)の総領で非人の支配権を持つ)の命令で、非人が茅二、三把を手に
通史編3(近世2) (情事の発覚)

牢屋奉行の石出帯刀(いしでたてわき)、見廻与力(みまわりよりき)・検使与力・御徒目付・小人(こびと)目付
通史編3(近世2) (高岡霊社の宝蔵・弘前城の金蔵へ侵入)

図12.磔刑の様子 図13.磔刑場の配置  検使の合図で、竜吒(りゅうた)と呼ばれる三爪
通史編2(近世1) (津軽信枚の越後転封)

なお、検使衆がやがて下るであろうが、その時は確かな者を下すので、その者に銀子を渡すこと。,幕府でも、津軽国替の検使役にこの後八月に大坂町奉行となる島田直時(しまだなおとき)(町奉行島田利正の兄,津軽弘前藩でも検使を迎えるに当たって、同様の対策が練られていたのであろうか。
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●慶長九年(一六〇四)秋、津軽為信、幕府へ検使の派遣を仰ぎ、弘前の城を築くという。,●慶長十五年(一六一〇)、この年、津軽信枚、幕府検使の検分を得て、高岡に城郭を築く。,●元和四年(一六一八)九月・十月、幕臣島田利正の斡旋により、津軽領と秋田領の境界について、検使を派遣して,同二十六日、検使島田直時、秋田久保田より津軽へ出発する。,●元和五年(一六一九)七月朔日、秋田領内で越後への国替に準備した津軽家用の馬と船を検使島田直時へ譲る。
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