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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (検地の実施)

外浜打出検地役人誓紙。,天和元年  2月28日 例年の通り,検地役人任命。 4月21日~25日 検地役人帰弘。,9月21日 検地役人出弘。 11月 8日 検地役人帰弘,登城。,天和 2年 3月 8日 検地役人出弘。,検地役人江戸登り。 注) 『津軽藩の基礎的研究』P175-176より作成。  
通史編2(近世1) (貞享検地への影響)

また竿奉行一〇人のうち六人が、高田検地の竿奉行その他二人も検地役人としてそれぞれ派遣されている。  ,また、検地役人の体制面からみると、寛文~天和期(一六六一~一六八三)の津軽領の検地では、比較的小規模な,編成だったのに対し、「貞享検地」にみられるような惣奉行・元締め・検地奉行・目付・竿奉行等といった検地役人,このような検地役人の共通性のほかにも、高田領検地と「貞享検地」の関連性をうかがわせる事例としては、「貞享検地,これに対して貞享検地の場合(「国日記」貞享元年十二月二十一日条)、検地役人の本来の役職に異動がみられる
通史編2(近世1) (越後高田領検地の実施)

四月十五日、江戸藩邸より検地役人の一番立が出発、十七日までに三番立が出立して、現地到着は二十二~二十四日,一方国元から派遣される検地役人は同月二十三~二十五日に出立している。,課役を命じられた時点で人数不足が懸念されていた(「国日記」天和二年四月九日条)ため、国元からも検地役人,それが国元にいる手廻組頭大道寺隼人に代わった理由は、検地役人に多く手廻組に属する藩士がいたことによると,検地役人には馬廻組に属する藩士も多い。
通史編2(近世1) (貞享検地)

②検地役人の大規模な組織体制は、寛文期から天和期までの検地での編成とは異なり、越後高田検地の例を踏襲したものと
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