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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (新楮町の取り立て)

翌五年三月、去年秋から漉き出した二〇締め(四万枚)ばかりの半紙の中から一万枚を、各組代官、楮仕立て方世話役,これを村々の者たちにみせて、楮仕立ての意欲を盛り上げようとの方策であった。,しかし、元文四年(一七三九)には司取役が、楮仕立てや半紙漉き立ての御用が少なくなったと事業の停滞を嘆く
通史編3(近世2) (松森町紙漉)

楮仕立てのために畑を貸与したのに、作人が交代したりしたこともあって、大豆・菜種などの有利な換金作物のみという,凶作・飢饉で荒廃した領内の廃田復興の事業が一段落した寛政十二年(一八〇〇)、楮町の者たちが相変わらず楮仕立,てをしないので業を煮やした郡奉行は、畑一反歩に楮一〇〇株ずつ植え付ければ、数十年来の不埒を容赦すると厳,楮畑の中に仮小屋を建てて、楮仕立ての指導や試し漉きなどに努めた。
通史編3(近世2) (楮町取り立て)

楮町取り立て 元禄八年の大凶作のため農民は楮仕立てどころでなく、楮畑は荒廃し御用紙を漉くのにも差し支,)町(現市内松森町)の後ろ、小比内(さんぴない)街道から高崎近所までの畑四五町歩余は風当たりも弱く、楮仕立,てに適しているので開発を仰せ付けられたい、同時に作人二〇人の住む楮町を取り立てたいなど申し述べている。
通史編3(近世2) (半紙の増産事業)

喜兵衛の申し立てによって三奉行から一人ずつ楮仕立て司取役が任命され、事業を推進することになった。,直ちに村々に厳しく楮仕立てが下命され、植え付け不振の村々からは誓約証文を差し出させた。
通史編3(近世2) (紺屋町末紙漉所)

では製紙業の振興を図るため、城の東方の黒石町・長町・寺町・土手町・銅屋町・笹森町・座頭町の畑二四町歩に楮仕立,てを命じた。,同年四月、新井・今泉両人は、紙業の振興を担当する郡奉行戸田左五兵衛・菊池四郎兵衛を同道して楮仕立ての適地検分,元禄三年(一六八九)原ヶ平(はらがたい)の畑二六町歩をはじめ方々の村々に楮仕立てを命じるが、相変わらず
通史編3(近世2) (藩営紙漉座と蘭医星弘道)

翌五年(一八五八)春、星弘道の指導で人参を栽培するとともに楮仕立てをも試みたところ、楮の生育が極めて良好,だったので、残る一五町歩の畑をも吉五郎に預け、楮仕立てに尽力するように命じた。,万延元年(一八六〇)四月、藩では薄市(うすいち)山(現北津軽郡中里町)四〇数町歩余を開発して楮仕立てをすることになった
通史編3(近世2) (西坂下御紙漉所)

くによし)村鳥井野(とりいの)村に楮立野を開いたこと、同十二月八日に紙漉七右衛門の子が紙をよく漉き、楮仕立,てに精を出したので、褒美として米三俵を頂戴したことを伝えている。  
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