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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (旧幕府軍の軌跡)

旧幕府軍の軌跡 榎本武揚ら旧幕府海軍が品川沖を出帆したのは、明治元年八月十九日のことだった。,このとき榎本武揚らは、蝦夷地開拓と奥羽列藩同盟への援助、この二つを目的として脱走したことが、勝海舟を通,こうして十月二十日、榎本武揚らは開港場であった箱館を避けて、鷲ノ木(わしのき)(現北海道茅部郡森町)へ
通史編3(近世2) ((一)箱館戦争の開始)

に任じられていた清水谷公考(しみずだにきんなる)から、八月に品川から旧幕府海軍を引き連れ出帆していた榎本武揚
通史編3(近世2) (箱館戦争期の兵員補充)

榎本武揚(たけあき)の旧幕府脱艦隊による箱館襲撃である。
通史編3(近世2) (戊辰戦争直後の課題)

戊辰戦争直後の課題 明治二年(一八六九)五月に榎本武揚(えのもとたけあき)が降伏して箱館は陥落し、一年半
通史編3(近世2) (箱館戦争の終結)

榎本武揚はこれに応じず、五稜郭では頑強な抵抗が続いたが、各地の残余兵には降伏に傾く者がしだいに増えてきていた
通史編3(近世2) (矢不来の戦い)

旧幕府軍では榎本武揚も有川(ありかわ)村(現北海道渡島郡上磯町)で兵を激励するが、政府軍の勢いはとまらず
通史編3(近世2) (戦線の北上)

松平定敬らは、やがて榎本武揚(えのもとたけあき)らと合流し、箱館戦争が終了するまで旧幕府軍として行動した
通史編3(近世2) (宮古湾海戦)

榎本武揚(えのもとたけあき)ら旧幕府軍も入手すべく交渉を試みてはいたが、奥羽平定により明治政府側の勝利
通史編3(近世2) (松前徳広の領内落去)

松前兵はこの土方隊をさらに迎え撃つために兵力を投じざるをえなかったが、その間に、今度は榎本武揚が軍艦開陽,榎本武揚(えのもとたけあき)は英仏両国と会談し、事実上の政権と認められて外交関係を有利に運んでいた。
通史編3(近世2) (庄内征討命令をめぐって)

また、榎本武揚ら海軍は、館山(現千葉県)方面に脱出を遂げた。
通史編3(近世2) (二等銃隊の補充と特質)

九月二十三日の野辺地戦争から東北戦争の終結までを、(第3期)の明治元年十月十九日~明治二年六月十二日とは榎本武揚
通史編3(近世2) (町方の軍事負担)

さらに、人的負担も大きく、たとえば明治元年十一月に榎本武揚(たけあき)の旧幕府脱艦隊に攻められて、松前藩主徳広
通史編3(近世2) (戦局の推移と戦費負担の増加)

箱館に旧幕府脱艦隊榎本武揚の軍が来襲し、同地を守る府知事清水谷公考(しみずだにきんなる)が弘前藩に対して
通史編3(近世2) (新しい指導者)

二十四歳にして兵部少輔(しょう)となり、軍事参謀試補として箱館府総督清水谷公考(きんなる)を守衛し、榎本武揚
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