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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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資料編3(近世編2) (●熊野宮 本殿 樋の口町--県重宝)

●熊野宮 本殿 樋の口町--県重宝 熊野宮の創建は不明であるが、かつては「熊野三所飛龍大権現」といい / ●熊野宮 本殿 樋の口町--県重宝
通史編5(近・現代2) (西小学校の創設)

西小学校の創設 昭和四十年、弘前市は三ヵ年計画で、市内樋の口地区に広さ四一・二ヘクタールの城西団地を,西小学校は弘前市樋の口町一四六の一(現茜町三丁目二番地一)に敷地を定め、四十六年七月二十一日から校舎新築
通史編5(近・現代2) (上水道設備の向上)

昭和二十九年以降、浄水場は樋の口地区にあり、近くを流れる岩木川に取水堰がある。,写真241 樋の口浄水場の風景  上水道供給事業は、単に衛生対策の視点からだけでなく、環境・景観,樋の口の取水堰もその眺めは美しい。,平成十四年(二〇〇二)七月三十一日に、樋の口と岩木町真土を結ぶ茜橋が開通した。
資料編3(近世編2) (●袋宮寺 本堂 新寺町--県重宝)

袋宮寺は天台宗の寺院であり、弘前の樋の口にある熊野宮(本殿は県重宝)の別当寺であったが、明治に廃止されたために
通史編2(近世1) (城下弘前の変化)

岩木川は鳥井野(とりいの)(現岩木町鳥井野)付近で二筋に分かれ、一筋は駒越川、もう一筋は岩木川もしくは樋の,延宝二年(一六七四)樋の口川の水量を減らし駒越川の水量を多くする掘替工事が行われた(『記類』上)。,天和二年(一六八二)に再び掘替工事が行われ(「国日記」天和二年八月十二日条)、岩木川は駒越川一筋になり、樋の,口川は西濠(にしぼり)となった。,図72.延宝の絵図(掘替工事後の樋の口川の変更の様子) 目録を見る 精細画像で見る  次いで元禄八年
通史編3(近世2) (江戸時代初期の建築)

さらに慶長二十年(一六一五)には樋の口(ひのくち)の熊野神社の本殿が造られていることが棟札によって知られる,熊野三所権現(さんしょごんげん)として造られて、奥照神社を本宮(ほんぐう)として門外を新宮(しんぐう)とし、樋の,口を那智宮(なちぐう)としていたようである。,奥照神社の本殿ではその構造形式によって古さが感じられ、樋の口の熊野神社の本殿は向拝を一間につくり、頭貫型虹梁
通史編1(古代・中世) (中世の農民)

取挙 取上 小比内 小比内 大麻 大和沢 小栗山 小栗山 大沢 大沢 和徳 和徳 樋口 樋の,口 袋宮 樋の口 田舎郡 津合流野 津賀野 鼻和郡 本郷蒔苗ト言う 蒔苗 豊内 藤内 町田 町田
資料編3(近世編2) (はじめに)

慶長十七年(一六一二)の弘前八幡宮、慶長十八年(一六一三)の熊野奥照神社、そして慶長二十年(一六一五)に樋ノ,口の熊野宮本殿と続いた。
通史編5(近・現代2) (大火と上水道設備の向上)

現在、市の浄水場は市内の樋の口にあり、岩木川から引水しているので、非常に隣接していたことがわかる。
通史編5(近・現代2) (都市計画と道路建設)

3,300 〃 〃 0 3.4.5 上白銀町新寺町線 16 1,020 〃 〃 0 3.4.6 山道町樋の,口町線 16 2,800 〃 平成5年4月14日 1,663 3.4.7 弘前宮地線 20 2,540
通史編5(近・現代2) (生活道路の計画)

市街地中心部に向かう際の交通渋滞の緩和を図るため、城西団地から茂森町をまっすぐにつなぐ三・四・六号山道町・樋の,口町線の建設に着手している。
通史編3(近世2) (江戸時代中期の建築)

袋宮寺は天台宗の寺院であり、元来は樋の口の「熊野神社」の別当寺であったが、明治に廃止された後、現在地の
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