機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 12件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
資料編3(近世編2)
(●熊野宮 本殿 樋の口町--県重宝)
●熊野宮 本殿
樋の口
町--県重宝 熊野宮の創建は不明であるが、かつては「熊野三所飛龍大権現」といい / ●熊野宮 本殿
樋の口
町--県重宝
通史編5(近・現代2)
(西小学校の創設)
西小学校の創設 昭和四十年、弘前市は三ヵ年計画で、市内
樋の口
地区に広さ四一・二ヘクタールの城西団地を,西小学校は弘前市
樋の口
町一四六の一(現茜町三丁目二番地一)に敷地を定め、四十六年七月二十一日から校舎新築
通史編5(近・現代2)
(上水道設備の向上)
昭和二十九年以降、浄水場は
樋の口
地区にあり、近くを流れる岩木川に取水堰がある。,写真241
樋の口
浄水場の風景 上水道供給事業は、単に衛生対策の視点からだけでなく、環境・景観,
樋の口
の取水堰もその眺めは美しい。,平成十四年(二〇〇二)七月三十一日に、
樋の口
と岩木町真土を結ぶ茜橋が開通した。
資料編3(近世編2)
(●袋宮寺 本堂 新寺町--県重宝)
袋宮寺は天台宗の寺院であり、弘前の
樋の口
にある熊野宮(本殿は県重宝)の別当寺であったが、明治に廃止されたために
通史編2(近世1)
(城下弘前の変化)
岩木川は鳥井野(とりいの)(現岩木町鳥井野)付近で二筋に分かれ、一筋は駒越川、もう一筋は岩木川もしくは
樋の
,延宝二年(一六七四)
樋の口
川の水量を減らし駒越川の水量を多くする掘替工事が行われた(『記類』上)。,天和二年(一六八二)に再び掘替工事が行われ(「国日記」天和二年八月十二日条)、岩木川は駒越川一筋になり、
樋の
,
口
川は西濠(にしぼり)となった。,図72.延宝の絵図(掘替工事後の
樋の口
川の変更の様子) 目録を見る 精細画像で見る 次いで元禄八年
通史編3(近世2)
(江戸時代初期の建築)
さらに慶長二十年(一六一五)には
樋の口
(ひのくち)の熊野神社の本殿が造られていることが棟札によって知られる,熊野三所権現(さんしょごんげん)として造られて、奥照神社を本宮(ほんぐう)として門外を新宮(しんぐう)とし、
樋の
,
口
を那智宮(なちぐう)としていたようである。,奥照神社の本殿ではその構造形式によって古さが感じられ、
樋の口
の熊野神社の本殿は向拝を一間につくり、頭貫型虹梁
通史編1(古代・中世)
(中世の農民)
取挙 取上 小比内 小比内 大麻 大和沢 小栗山 小栗山 大沢 大沢 和徳 和徳 樋口
樋の
,
口
袋宮
樋の口
田舎郡 津合流野 津賀野 鼻和郡 本郷蒔苗ト言う 蒔苗 豊内 藤内 町田 町田
資料編3(近世編2)
(はじめに)
慶長十七年(一六一二)の弘前八幡宮、慶長十八年(一六一三)の熊野奥照神社、そして慶長二十年(一六一五)に
樋ノ
,
口
の熊野宮本殿と続いた。
通史編5(近・現代2)
(大火と上水道設備の向上)
現在、市の浄水場は市内の
樋の口
にあり、岩木川から引水しているので、非常に隣接していたことがわかる。
通史編5(近・現代2)
(都市計画と道路建設)
3,300 〃 〃 0 3.4.5 上白銀町新寺町線 16 1,020 〃 〃 0 3.4.6 山道町
樋の
,
口
町線 16 2,800 〃 平成5年4月14日 1,663 3.4.7 弘前宮地線 20 2,540
通史編5(近・現代2)
(生活道路の計画)
市街地中心部に向かう際の交通渋滞の緩和を図るため、城西団地から茂森町をまっすぐにつなぐ三・四・六号山道町・
樋の
,
口
町線の建設に着手している。
通史編3(近世2)
(江戸時代中期の建築)
袋宮寺は天台宗の寺院であり、元来は
樋の口
の「熊野神社」の別当寺であったが、明治に廃止された後、現在地の
/ 1ページ