• 機関トップ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧

弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

  1. トップページ
  2. 詳細検索

詳細検索


検索条件を追加
閉じる
検索結果 : 7件
辞書ファセット
/ 1ページ
通史編2(近世1) (「標符(通帳)」の形態と呼称)

「標符(通帳)」の形態と呼称 藩札の性格を持ち、通帳として使用された標符の形態はどのようなものだったのだろうか,標符(通帳)を切り分けたのか、「切通帳」というのを切り分けたのか判然としないが、一枚ものの小札であることに,次に、標符の名称についてであるが、これまでみてきたところから、標符以外に「通帳」「諸品通帳」の呼称があり,「徧覧日記」では、知行取藩士に渡すのは「通帳」であるが、その表書きは「標符」であり、町・在の標符は「諸品通帳,そして十二月以降は「標符」の呼称は、制度的にも「通帳」となり、表書きには「諸品通」(もしくは「諸品通帳 / 「標符(通帳)」の形態と呼称
通史編2(近世1) (宝暦五年の米切手と標符(通帳))

宝暦五年の米切手と標符(通帳) ここで、従来「標符」として紹介されてきた、宝暦五年(一七五五)の米切手,と本来の標符(通帳)との関係について整理しておく。  ,「小通」「切通帳」「切手形」の可能性もあるが、大きさ(たて三〇・四センチメートル、横一三・三センチメートル,(通帳)との関係である。,(詳しくは、瀧本壽史「弘前藩宝暦改革における『標符(通帳)』の形態について」『弘前大学国史研究』一一一 / 宝暦五年の米切手と標符(通帳)
通史編2(近世1) (「標符(通帳)」通用の実態)

「標符(通帳)」通用の実態 これまでみてきたように、藩は標符によって正金銀や米穀をはじめとする諸物資,「上は勝、下は次第に詰将棋、何(イツ)か標符ハ金となるやら」という狂歌は、標符によって藩庫が潤ったにもかかわらず,標符発行後の一、二ヵ月は各店に行けば品物も相応に標符で購入できた。,文字や判を巧みに偽造して作った偽標符や、極めて信頼性が高く商品をすぐ購入できる「別段標符」が出回った。,さらに、上納すべき金銀米銭を持たない「小商人ならひニ職人」には標符が与えられず、標符の流通範囲から除外 / 「標符(通帳)」通用の実態
通史編2(近世1) (「標符(通帳)」発行の前提と経過)

「標符(通帳)」発行の前提と経過 標符は大きくは藩札の範疇(はんちゅう)に入り、領内に流通させることで,しかし、それが通帳とも呼ばれ、実際通帳の形態をとったのは、それによって領内の物資を配給する役割をも付加,つまり、標符がそのまま紙幣として通用するものではなかったことから、その実施に当たっては、多くの関連施策,なお「通帳」の読み方は、史料上「通」のみで出てくることも多く、歴史用語としてはその実態からも「かよいちょう,このような中、同年九月、一五ヵ条にわたる標符発行にかかわる関連施策が、これ以前に出された施策も含めて「 / 「標符(通帳)」発行の前提と経過
通史編2(近世1) (改革の終焉と成果)

しかし、この過程で発行された「標符(通帳)」によって領内の経済・流通が混乱したことから、改革は挫折することになる,標符(通帳)の流通は宝暦七年(一七五七)七月一日をもって停止されたが、これに先立つ同年六月二十三日、標符発行,こうして、標符(通帳)発行に伴って定められた貸借無差別令や銀遣いも廃止され、すべて改革以前に復帰した。,なお、標符(通帳)が停止される直前の同七年三月、経済的混乱のただ中にもかかわらず、乳井貢は新知千石を与,通帳)をはじめとする経済政策の前提として実施された諸調査は、改革の成果としてとらえることができよう。
通史編2(近世1) (銀遣いへの変更と商人の活用)

いわゆる「標符(通帳)」の発行である(以下の記述は長谷川成一「弘前藩における藩札の史料収集と研究」日本銀行金融研究所委託研究報告,なお、標符発行にかかわる乳井貢の貨幣観や思想については、本節一を参照いただきたい。
通史編2(近世1) (改革推進体制の構築)

にゅういみつぎ)への権力集中 宝暦五年の大飢饉は藩政の動向に大きな影響を与え、改革路線は後述するように、「通帳,(かよいちょう)(標符(ひょうふ))」の発行を中心とした政策に移っていくが、その実現を可能にしたのが、,「標符」発行は、「無格」となる一ヵ月前の九月十五日であった。  
/ 1ページ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧
  • 機関トップ
  • 利用規定
  • 利用ガイド
  • サイトマップ
  • ADEACトップ
X(旧Twitter) facebook line urlcopy
トップへ
ページURLがコピーされました