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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (ロシア人捕虜と弘前捕虜収容所)

政府と大本営は、明治三十八年(一九〇五)六月十五日に樺太攻略作戦を決定し、二日後に上奏・裁可された。,この樺太作戦では第一三師団が活躍し、七月三十一日にロシア軍が降伏して、全樺太が平定された。
通史編5(近・現代2) (ソ連からの引揚げ督促)

しかしこれ以後も難航したのが、ソ連支配下のシベリア・樺太(現サハリン)・千島・北朝鮮からの引揚問題であった,弘前市のみならず青森県は「北の要塞」を担っていたこともあり、シベリア・樺太・千島からの引揚者も多かった
資料編1(考古編) (5.青森県における弥生時代の終局)

また、石附喜三男は樺太の土器文化について「(鈴谷式土器)を伴なう文化の流れ-そこには当然のことながらそうした,へと江別文化人の移動を顕著ならしめる要因となったのではあるまいか」*162と、気候の寒冷化説に対し、樺太
通史編5(近・現代2) (出稼ぎの実態)

青森県人の出稼ぎは、北海道・樺太などにおける漁業や林業従事が大半で、斡旋(あっせん)業者が出稼ぎ者を募集,このように、出稼ぎ労働者の雇用環境の保障は出稼者保護組合が担うことになったが、ここに昭和十七年の樺太林業出稼,にかへるので日雇すて居るよりズート家計苦しくなりました、其の時、昨冬十二月友達(仕事での同はい)が来て、樺太,ナンギはカケたくないが今の自分には身にコたいてます、内の家計が頭にカンカンです、当飯場には故郷に帰らず樺太十年,出稼者保護組合二関スル書類綴』弘前市立図書館蔵)  この出稼ぎ者は、日雇い人夫より実入りがよいと聞き、樺太
通史編5(近・現代2) (凶作と小作争議)

昭和八年の場合、統計に出ているのは七二五人、特徴的なのは石川町から北海道へ七三人、相馬村の出稼ぎ者は全員樺太
通史編5(近・現代2) (北門書道会の結成)

この『少年北門書道』の会員は、昭和十一年には七千余名、支部も県外の樺太、北海道から三重、大阪まで九〇支部
通史編2(近世1) (幕末期の蝦夷地交易)

種籾・大豆・小豆など実に種類が多く、特に文久二年(一八六二)正月と翌三年六月には幕府直営の漁場である樺太
通史編5(近・現代2) (戦争を挟んで)

んで 昭和十三年四月、学生部会員は一万人を突破、一般会員も一二〇〇人を超え、支部は一五〇を超え、北は樺太
通史編4(近・現代1) ((一)北洋の出稼ぎ農民たち)

弘前市民北海道漁場行 北海道及びサガレン島、樺太等漁場出稼の漁夫募集に就いては弘前市本町三上新太郎及び,このうち、蟹工船を含むロシア領へは三分の一が出かけ、期間中の収入は、北海道、樺太が一人約七〇円に対し、,昭和七年の弘前市からの出稼ぎ漁夫は七二五人で、北海道二二七人、樺太三三六人、ロシア領一六二人である。
通史編5(近・現代2) (指導者・石岡彦一)

借金を抱え、樺太への出稼ぎで生計を立てていた。
通史編4(近・現代1) (日露開戦と第八師団の派遣)

しかし郷土師団たる第八師団が大陸出征したり、津軽海峡にロシア艦隊が出没したり、樺太からロシア人捕虜が弘前
通史編5(近・現代2) (第五十九銀行の復活)

さらに、経営陣刷新への取り組みであるが、休業間もない十一月三十日、樺太の泰北銀行に勤務した経験を持っている
通史編4(近・現代1) (地域と軍隊の密接化)

南樺太を獲得したといっても、賠償金はまったくとれず、戦勝国としての恩恵が極めて少ない講和であった。
通史編1(自然・原始) (江戸時代~明治十七年(一八八四))

時代が江戸時代末期のいわゆる幕末期に入ると、樺太や蝦夷地探検で名をはせた松浦武四郎(まつうらたけしろう
通史編1(古代・中世) (粛慎とは何者か)

渡嶋に来た粛慎も、そうした大陸東北部に住み、そこから樺太・北海道北部に渡ってきたツングース系部族の一部
通史編2(近世1) (江戸での借財の増加)

文化四年のロシアによる樺太・エトロフ襲撃事件の際は、金額は明らかでないが大金を調達・上納した件で藩から
通史編5(近・現代2) (戦時下のりんご統制)

昭和十年代のりんご小作料は、反当たり粗収入の一割程度の金納で済んだため、りんご小作農家の北海道、千島、樺太
通史編1(自然・原始) (人類学会創設~昭和三十三年(一九五八))

彼は東京大学に在職中から、人類学・考古学と民族学との接点を主として研究し、樺太アイヌ・オロツコ・北海道
通史編2(近世1) (「分領」と津軽弘前藩)

警衛を担当する仙台・秋田・庄内・会津藩に対する配慮を加えたといえる(麓慎一「幕末における蝦夷地政策と樺太問題
通史編2(近世1) (幕府の蝦夷地政策)

また西蝦夷地探検隊はサハリン(樺太)のシラヌシ・オオトマリ・クシュンナイまで調査し、山丹(さんたん)交易
資料編1(古代・中世編) ([十五世紀])

●文明十七年(一四八五)、この年、樺太のアイヌ首長、上ノ国に来て、銅雀台瓦硯を蠣崎信広に献上するという
通史編2(近世1) (文化~文政期の藩財政)

における蝦夷地警備費(「松前方入用」)は、幕領化前の寛政・享和期で三〇〇〇両から七〇〇〇両、ロシア人の樺太
通史編2(近世1) (掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)

弘前市立図書館蔵津軽家文書 207 弘前市立図書館蔵津軽古図書保存会文庫 208 麓慎一「幕末における蝦夷地政策と樺太問題
資料編1(古代・中世編) ([十六世紀])

●永禄元年(一五五八)、北夷地(樺太)産の上質の鷲羽、松前にもたらされ、蠣崎季広、これを熊野大社に奉納
資料編3(近世編2) (【解説】)

なかでも、ロシアが樺太クシュンコタンや択捉などの日本側施設を攻撃(いわゆる択捉事件)した文化三、四年は
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

………………………… 蔭涼軒目録 273 ●文明十七年(一四八五)、この年、樺太のアイヌ首長、上ノ国に,……………………… 京徳寺過去帳 298 ●永禄元年(一五五八)、北夷地(樺太)産の上質の鷲羽、松前にもたらされ
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