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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
(橋雲寺)
橋雲寺
橋雲寺
(きょううんじ)(現中津軽郡岩木町)は愛宕権現宮の別当であった。,慶長六年(一六〇一)、為信が京都の愛宕山より勝軍地蔵を浅瀬石村(現黒石市)に勧請して
橋雲寺
を別当とし、,明治四年(一八七一)、本尊が勝軍地蔵のため神号を止めて鳥居を除くこととして、
橋雲寺
は存続した。,村民は高原(現市内細越)に愛宕神社をつくり、植田・細越両村の鎮守としたが、
橋雲寺
は愛宕山頂の奥院を愛宕神社 /
橋雲寺
資料編3(近世編2)
(●橋雲寺 愛宕堂 岩木町大字植田字山下)
●
橋雲寺
愛宕堂 岩木町大字植田字山下 この愛宕堂の建築年代を示す資料は無いようであるが、構造形式や,図18
橋雲寺
愛宕堂平面図 / ●
橋雲寺
愛宕堂 岩木町大字植田字山下
通史編3(近世2)
(大社の神仏分離)
(ほそごえ))は、本尊が勝軍地蔵尊(しょうぐんじぞうそん)であったため神号をやめて鳥居を除去し、別当
橋雲寺
,(現
橋雲寺
、中津軽郡岩木町植田)はそのまま寺院として存続することとなった。,図78.愛宕山
橋雲寺
お札 岩木三所大権現(現中津軽郡岩木町)は、百沢寺(ひゃくたくじ)が別当を
通史編3(近世2)
(真言宗)
図194.真言宗本末関係図 藩では、最勝院・百沢寺・国上寺・
橋雲寺
・久渡寺を津軽における真言宗
通史編3(近世2)
(一代本尊)
虚空蔵菩薩 百沢の虚空蔵(求聞寺) 卯 文殊菩薩 兼平の天満宮→天満宮(弘前) 辰・巳 普賢菩薩 愛宕様(
橋雲寺
通史編3(近世2)
(大行院)
明治三年(一八七〇)、神仏分離により、修験は
橋雲寺
から移された天満宮の祠掌となった。
通史編2(近世1)
(由緒書から)
また、この嘉右衛門は、越前三国(みくに)の瀧谷寺(たきだんじ)の高僧を津軽に招き、
橋雲寺
(きょううんじ
通史編4(近・現代1)
(行在所金木屋)
至って没落し、弘前の実業界から姿を消していったが、この行在所の建物は、中津軽郡岩木町大字植田の愛宕山
橋雲寺
通史編3(近世2)
(江戸時代後期の建築)
橋雲寺
(きょううんじ)は愛宕様とも呼ばれて一般に親しまれており、愛宕山勝寿院(しょうじゅいん)とも称したという
通史編3(近世2)
(二代信枚)
五山は真言宗最勝院、百沢寺(ひゃくたくじ)、国上寺(こくじょうじ)(現南津軽郡碇ヶ関村)、
橋雲寺
(きょううんじ
通史編3(近世2)
(金木屋の生活)
その後、私は老人の道益を誘い、酒・肴を持参して愛宕山(あたごやま)の
橋雲寺
(きょううんじ)(現中津軽郡岩木町,十九日、今日午前十時過ぎ、正阿弥の兄悴が、江戸から帰ってきた〓兄と〓良七・熊七を連れて愛宕(あたご)(
橋雲寺
通史編1(古代・中世)
(一 古代における北奥の宗教世界)
を開基 国上寺(真言宗) 付近に田村麻呂建立の森山毘沙堂あり (4) 勝軍地蔵堂 慶長六年 為信公
橋雲寺
,真言五山寺 初め、大浦種里村にあり (3) 国上寺 同右 不詳 僧円智の創立とも 真言五山寺 (4)
橋雲寺
通史編3(近世2)
(城下での生活)
二十六日、今朝、国上寺(こくじょうじ)(現南津軽郡碇ヶ関村)・
橋雲寺
(きょううんじ)(現中津軽郡岩木町
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