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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (歌舞伎)

歌舞伎 歌舞伎は、慶長八年(一六〇三)、出雲阿国(いずものおくに)が京都の四条河原で始めたとされている,元禄年間(一六八八~一七〇三)には、京・大坂の坂田藤十郎を代表とする上方(かみがた)歌舞伎と、市川団十郎,による江戸歌舞伎とがあった。,図33.出雲阿国の墓  津軽領内では正保三年(一六四六)六月、歌舞伎興行が初めて行われた(「秘苑 / 歌舞伎
通史編4(近・現代1) (歌舞伎・新派劇)

歌舞伎・新派劇 三十九年六月に柾木座の広告天井が落成した。,そのころ柾木座に上演された歌舞伎では、四十年一月に市川三寿之丞一座の『菅原伝授手習鑑』、『安達原三段目 / 歌舞伎・新派劇
通史編4(近・現代1) (芝居小屋と寄席)

この二つの芝居小屋には、旅回り芸人による歌舞伎や新派劇がかかり、ときには地元役者一座の上演もみられた。
通史編3(近世2) (操人形芝居)

能楽・歌舞伎・操人形芝居は、武士・庶民の娯楽として人気があった。
通史編4(近・現代1) (動く写真)

三十二年に歌舞伎狂言『紅葉狩』を映したのが、日本物の最初と言われる。  
通史編3(近世2) ((一)寺社の開帳)

ここは、看板・幟を立てた浄瑠璃・歌舞伎・見世物小屋・茶店が軒を並べ、庶民のレクリエーションの場所でもあった
通史編4(近・現代1) (柾木座焼失と弘前座)

こけら落としは、東京歌舞伎の大看板・松本幸四郎一行であり、当時としては空前絶後の地方公演であった。
通史編4(近・現代1) (茂森座から柾木座へ)

しかし、歌舞伎とは違った現代劇としての面白さや、壮士の立ち回りが写実的で観客に喜ばれた。
通史編4(近・現代1) (護憲を巡る動き)

写真138 菊池武徳  十二月十九日、憲政擁護会が主催する第一回の大会は歌舞伎座で開催された。
通史編3(近世2) (赤穂四十七士批判)

確かに事件後に作られた浄瑠璃や歌舞伎の戯曲の多くの中には、親族への情の問題を顧慮・喚起させることに意を
通史編5(近・現代2) ((一)不滅の作家・太宰治)

『正義と微笑』について「青年歌舞伎俳優の日記体の長篇であるが、ユーモアとペイソスの軽い流れに私は作者の
通史編4(近・現代1) (青森県における普通運動)

また、五所川原青年会長外崎千代吉も、青森市歌舞伎座で工藤日東とともに普選断行演説会を開いた。  
通史編5(近・現代2) (昭和弘前市民の一側面)

写真10 ねぷた(昭和初期・仲町)  青森市の歌舞伎座とならび、弘前座では演奏会や演劇が繰り広げられた
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