• 機関トップ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧

弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

  1. トップページ
  2. 詳細検索

詳細検索


検索条件を追加
閉じる
検索結果 : 6件
辞書ファセット
/ 1ページ
通史編2(近世1) (二 浅利騒動への加担)

浅利騒動への加担 浅利騒動(あさりそうどう)とは、大名秋田実季と、その領主権力から独立を果たそうとする比内郡
通史編1(古代・中世) (泰衡の死)

また返書は比内(ひない)あたりに落として欲しいとあったので、試しに捨て置いたところ、その様子をうかがっている,武者があらわれたので、これを捕らえて泰衡の居所を詰問した結果、いま比内郡内にいることが確実となった。,四日には志波郡に入り、平泉政権の北方支配の重要拠点である比爪(ひづめ)館を陥とした。,ここに新たに北陸道を攻め上った比企能員(よしかず)らの軍勢も到着し、『吾妻鏡』によると総計二八万四〇〇〇,泰衡は、三日に糟部(糠部)から信頼していた譜代家臣の河田次郎の本拠、肥(比)内郡贄柵(にえのさく)に立
通史編2(近世1) (伏見木幡山城の築城)

折しもこの慶長二年から三年にかけては、出羽国比内(ひない)郡の領有をめぐって紛争の最中であった比内の浅利頼平,比内郡の山をも含む秋田山からの伏見作事板の伐採と廻漕を命じる朱印状は、事実上比内郡の領有権をその朱印状獲得者
通史編1(古代・中世) (平泉藤原氏)

東と北には閉伊・久慈・糠部といった新たな郡が設けられており、出羽国北部は陸奥国の管轄となって鹿角郡・比内郡
資料編1(古代・中世編) ([十二世紀])

●文治五年(一一八九)九月三日、藤原泰衡、夷狄島をめざし糠部へと北上するも、比内郡贄柵で敗死。
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

……………………………… 日本書紀 7 ●斉明天皇四年(六五八)四月、阿倍比羅夫の遠征。,……………………………… 日本書紀 8 ●斉明天皇五年(六五九)三月、阿倍比羅夫の第二次遠征。,……… 吾妻鏡 140 ●文治五年(一一八九)九月三日、藤原泰衡、夷狄島をめざし糠部へと北上するも、比内郡贄柵,円福(幕府使節僧か)、八戸政経に秋田・比内・河北・津軽の情勢を書き送る。,、比内の故地に復帰させしこと、秋田実季の申状に見える。
/ 1ページ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧
  • 機関トップ
  • 利用規定
  • 利用ガイド
  • サイトマップ
  • ADEACトップ
X(旧Twitter) facebook line urlcopy
トップへ
ページURLがコピーされました