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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(民次郎一揆)
民次郎
一揆 文化十年(一八一三)九月二十八日、藤代組(ふじしろぐみ)(現弘前市・北津軽郡鶴田町)・高杉組,鬼沢(おにざわ)村(現弘前市鬼沢)の
民次郎
が首謀者とされたことから「
民次郎
一揆」と呼ばれる。,罪を一身に背負い、ただ一人極刑となった
民次郎
について、明治十四年(一八八一)顕彰碑が建立されその後義民,図159.
民次郎
記念碑 図160.弘前城北の郭北門(亀甲門) さて、一揆の規模であるが,ただし、天明三年(一七八三)の青森騒動が四〇〇〇人、弘前での騒動が二〇〇〇人規模であるとされることから、
民次郎
一揆 /
民次郎
一揆
通史編4(近・現代1)
(民次郎百年忌)
民次郎
百年忌 大正三年一月、津軽の各町村役場に一通の封書が送られてきた。,大正二年の凶作は深刻だったが、村々には藤田
民次郎
の祟(たた)りという噂が飛んでいた。,大正二年(一九一三)は
民次郎
一揆の文化十年(一八一三)からちょうど百年目であった。,
民次郎
一揆の処罰については、当時から真の首謀者は別で、
民次郎
は身代わりになったと言われていた。,そのため、今回地域を挙げて
民次郎
の怨霊を鎮める建碑をしようという趣意書だった。 /
民次郎
百年忌
通史編4(近・現代1)
(民次郎を継ぐ心)
民次郎
を継ぐ心 西根(岩木川の西側一帯を指す)の村々の指導者たちが、ここまで深く
民次郎
一揆に心を寄せたのは,旗手を務めた菊池武徳の視野にも、自派の勢力拡大に鎬(しのぎ)を削った弘前市議の視野にも、津軽の一寒村の
民次郎
,しかし、地元の人々は
民次郎
を義民と呼び、津軽の佐倉宗五郎と讃えた。 /
民次郎
を継ぐ心
通史編4(近・現代1)
(義民藤田民次郎建碑運動)
義民藤田
民次郎
建碑運動 文化十年(一八一三)九月に津軽地方一帯で起きた通称「
民次郎
一揆」と呼ばれる百姓一揆,は、一揆の指導者とされた
民次郎
が弱冠二十代の若さで斬罪に処せられたこともあり、この地方ではつとによく知,』一九六三年、津川武一『オロシアおろし 藤田
民次郎
の一揆』民衆社、一九八九年)。,の願書を清書し、鞭刑となった忠三郎の孫)らが中心となり、「義民藤田
民次郎
の建碑」に奔走した。,が「義民
民次郎
顕彰之碑」を建立した。 / 義民藤田
民次郎
建碑運動
通史編3(近世2)
(強訴)
民次郎
(たみじろう)一揆と称されるものである。,その中から、鬼沢(おにざわ)村(現市内鬼沢)の庄屋代理として
民次郎
が、松前(蝦夷地)への人馬賃銀、開発地面調,しかし、家老津軽頼母(たのも)の計らいにより、
民次郎
が一身に罪を負うことによって事態が収拾に動き、彼は,図11.
民次郎
斬罪を記した国日記記事 目録を見る 精細画像で見る
民次郎
の判決例は「文化律」,
民次郎
は弘前城下を馬に乗せられて引き廻しのあと、取上の御仕置場に到着し、岩川久太郎検使のもと、斬罪となった
資料編3(近世編2)
(第一節 後期藩政の展開と社会状況)
(四)諸商売の制限 三 民衆の一揆・打ちこわし (一)天明の打ちこわし (二)
民次郎
一揆
通史編2(近世1)
(一揆の要因と結果)
一揆の要因と結果
民次郎
一揆やそれに先立つ強訴の原因については、いずれの記録もほぼ同様の事柄をあげている,
民次郎
一揆のみの成果ではなく、その前段階の諸組の動向かあったからこその措置といえよう。
資料編3(近世編2)
([口絵])
金木屋日記(弘前市立図書館蔵八木橋文庫) 餓死者供養名号塔(弘前市・専修寺)
民次郎
通史編2(近世1)
(続発する強訴の動き)
いわゆる「
民次郎
一揆(たみじろういっき)」である。
資料編3(近世編2)
(【解説】)
第三項では、天明三年(一七八三)の打ちこわしと文化十年(一八一三)の
民次郎
一揆を主に扱った。,また、文化十年の
民次郎
一揆の背景には、享和期(一八〇一~〇三)以降の開発策による重い負担と年貢収取の強化,なお、
民次郎
一揆については、第三節の蝦夷地警備との関わりで述べた方が一揆そのものについての理解は得られると,収めることになるが、蝦夷地警備の継続の中での開発強化は当然農民の負担増を招くのであり、ここに、前掲の
民次郎
一揆
通史編4(近・現代1)
(新編 弘前市史 通史編4(近・現代1) 目次)
516 一 第一次護憲運動と弘前 ……………………………………… 516 二 義民藤田
民次郎
碑
資料編3(近世編2)
(新編 弘前市史 資料編3 近世編2 目次)
(一)天明の打ちこわし …………………………………………………………………… 五九 (二)
民次郎
一揆
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