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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (民次郎一揆)

民次郎一揆 文化十年(一八一三)九月二十八日、藤代組(ふじしろぐみ)(現弘前市・北津軽郡鶴田町)・高杉組,鬼沢(おにざわ)村(現弘前市鬼沢)の民次郎が首謀者とされたことから「民次郎一揆」と呼ばれる。,ただし、天明三年(一七八三)の青森騒動が四〇〇〇人、弘前での騒動が二〇〇〇人規模であるとされることから、民次郎一揆 / 民次郎一揆
資料編3(近世編2) (第一節 後期藩政の展開と社会状況)

 (四)諸商売の制限   三 民衆の一揆・打ちこわし  (一)天明の打ちこわし  (二)民次郎一揆
通史編2(近世1) (一揆の要因と結果)

一揆の要因と結果 民次郎一揆やそれに先立つ強訴の原因については、いずれの記録もほぼ同様の事柄をあげている,民次郎一揆のみの成果ではなく、その前段階の諸組の動向かあったからこその措置といえよう。
通史編4(近・現代1) (民次郎百年忌)

大正二年(一九一三)は民次郎一揆の文化十年(一八一三)からちょうど百年目であった。,民次郎一揆の処罰については、当時から真の首謀者は別で、民次郎は身代わりになったと言われていた。,   仝組一町田村   仝 六鞭          惣左衛門 写真141 ねぷた絵:百姓民次郎一揆
通史編4(近・現代1) (民次郎を継ぐ心)

民次郎を継ぐ心 西根(岩木川の西側一帯を指す)の村々の指導者たちが、ここまで深く民次郎一揆に心を寄せたのは
通史編4(近・現代1) (義民藤田民次郎建碑運動)

義民藤田民次郎建碑運動 文化十年(一八一三)九月に津軽地方一帯で起きた通称「民次郎一揆」と呼ばれる百姓一揆
通史編2(近世1) (続発する強訴の動き)

いわゆる「民次郎一揆(たみじろういっき)」である。
資料編3(近世編2) (【解説】)

第三項では、天明三年(一七八三)の打ちこわしと文化十年(一八一三)の民次郎一揆を主に扱った。,また、文化十年の民次郎一揆の背景には、享和期(一八〇一~〇三)以降の開発策による重い負担と年貢収取の強化,なお、民次郎一揆については、第三節の蝦夷地警備との関わりで述べた方が一揆そのものについての理解は得られると,収めることになるが、蝦夷地警備の継続の中での開発強化は当然農民の負担増を招くのであり、ここに、前掲の民次郎一揆
資料編3(近世編2) (新編 弘前市史 資料編3 近世編2 目次)

   (一)天明の打ちこわし ……………………………………………………………………  五九    (二)民次郎一揆
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