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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編5(近・現代2) (度重なる大水害)

度重なる大水害 昭和三十三年の惨害が残る二年後に、弘前市を再び大水害が襲った。,だがすでに岩木川、平川、大和沢川が氾濫し、各地で水害が生じていた。,度重なる大水害が、市民に衛生思想の必要性を再認識させたのである。  ,このときの水害をもたらした集中豪雨は、各地で悲惨な事故を引き起こした。,市民にとって、岩木川の氾濫による水害はもっとも恐ろしい災害であった。 / 度重なる大水害
通史編5(近・現代2) (相次ぐ水害と商店街)

相次ぐ水害と商店街 昭和五十年(一九七五)八月には土淵川が氾濫し、市内の中心商店街が被害を受けた。,写真178 50年8月20日水害(土淵川境橋付近)  昭和五十二年(一九七七)八月にも水害が弘前市,この水害は八・五水害と呼ばれ、その被害額は昭和五十年の水害を上回った。,この水害のうち、商工関係の被害は次のように記されている。  ,弘前市と弘前商工会議所は商工会議所特設コーナーにおいて、水害金融の相談を始めた。 / 相次ぐ水害と商店街
通史編5(近・現代2) (岩木川改修運動)

けれども「昭和七年水害」と「昭和十年大水害」は、肥沃な津軽平野をもつ弘前市にも大打撃となった。,写真5 昭和10年大水害(新町坂下)  岩木川の改修は大正七年(一九一八)に起工されて以来の大事業,とくに「昭和十年大水害」は青森県の豪雨新記録となり、弘前市だけでなく青森県全体を文字どおり水浸しにする,「昭和六年大凶作」以来、連続災害で疲弊していた青森県民にとって、「昭和十年大水害」は致命的・壊滅的な打撃,岩木川の改修工事は、単に水害防止の対策であるだけでなく、大規模な土木工事を伴う時局匡救(きょうきゅう)
通史編2(近世1) (災害の続発とその影響)

 4月 3日 風害 西海岸 破船・難船多数  7月 8日 水害,弘前城 弘前城の屋根が吹き飛ばされる  6月18日 火災 碇ヶ関 43軒焼失 12月30日 水害,流失 正徳4(1714)  4月13日 火災 深浦 165軒焼失  7月12日 水害,弘前城下 岩木川・土淵川高水,浸水,橋の流失 享保元(1716)  2~ 3月 水害,岩木川流域 岩木川出水,新田地帯に大きな被害 風害 西海岸 破船・難船多数  7月21日 水害
通史編5(近・現代2) (岩木川の大氾濫)

もともと岩木川は地理的にも水害をもたらしやすい構造をもっていた。,けれども実際に岩木川の周辺に住む人々にとって、水害は脅威以外のなにものでもない。,この水害で死者三人、負傷者八六人、流失・全壊・浸水家屋三〇〇〇余り、橋梁流出一四ヵ所、欠損した堤防護岸一八,写真236 昭和33年水害  未曾有の豪雨は十一日の午前六時ごろから始まり、午前一〇時までには九六,市の中心部一帯を襲った水害は、県や国に陳情するほか手がないほど甚大な被害を市民に与えたのである。
通史編5(近・現代2) (昭和恐慌と相次ぐ災害)

その後も、七年八月の豪雨では岩木川堤防の決壊による水害、九年は再び凶作となり、十年八月の豪雨では県下一帯,が水害を蒙った。
通史編1(自然・原始) (秋)

特に、台風による被害は大きく、受ける風水害には海難、河川の氾濫、リンゴ等の落果、倒木や家屋損壊などがある,太平洋側を接近しながら北上する場合は、多雨域が東風の吹きつける八甲田山系の東斜面に現われ、強風害より水害
通史編5(近・現代2) ([付図])

〈昭和7年〉 8 秩父宮 歩兵第三一連隊に大隊長として赴任〈昭和10年〉 9 大水害,30年頃〉 28 藩祖三百五十年祭パレード〈昭和31年〉 29 岩木川氾濫による水害
通史編5(近・現代2) ([口絵])

久一呉服店土蔵の前) 口絵7 昭和三年富田大火(第一大成小学校焼跡にて) 口絵8 昭和十年大水害,口絵34 昭和32年石川町との合併祝賀会 †水との闘い† 口絵35 昭和33年水害,弘西林道開通(昭和47年) 口絵67 土淵川大氾濫(昭和50年) 口絵68 昭和52年水害
通史編5(近・現代2) (岩木川開発と目屋ダムの建設)

岩木川開発と目屋ダムの建設 弘前市民の念願でもあった岩木川の改修工事は、水害防止を意図していただけでなく,けれども弘前市の災害対策、とくに水害対策に大きな影響を与えたのは目屋ダムの建設であろう。
通史編1(自然・原始) (秋)

特に台風による被害は大きく、大雨・洪水害や強風害があり、リンゴ等の多量の落果や家屋の倒壊、大きな海難事故
通史編5(近・現代2) (誘致の決定と市当局の動向)

さらに市一帯を襲った昭和三十三年の大水害で、自衛隊が救済活動に従事してからは、自衛隊に対する市民の信頼感
通史編5(近・現代2) (福士市政の財政)

それは弘前駅舎新築と駅周辺再開発、水害対策、清掃・下水道事業、観光と文化財の保護、高齢化社会への対応、,写真155 新築なった国鉄弘前駅舎(昭和56年、右隣は旧駅舎)   ②水害対策  就任したばかりの,福士市政にとって、五十年八月に発生した大水害からの復旧が最初の行政課題となった。,大水害の経験から、福士市長は災害のない町にすることが為政者の責務であると痛感し、河川の抜本的改修が急務
通史編2(近世1) (宝暦の飢饉)

凶作は日本海側の諸藩にも及び、地域によっては水害や虫害も加わり被害を大きくした。  
通史編5(近・現代2) (農民運動の変質)

そして十年の冷水害には、被害の大きい西、北津軽両郡の組合員を動員して、十一月、県庁に対する大衆的示威運動
通史編1(自然・原始) (夏)

するが、梅雨明け(平年七月二十六日)近いころ、東北地方の北部に北上した梅雨前線の活動で大雨が降り、洪水害
資料編3(近世編2) (2 本所の上屋敷)

〇二)十二月二十五日の二度にわたって類焼しており、さらに、宝永元年(一七〇四)七月二日には洪水による水害
通史編5(近・現代2) (不況と失業問題)

としては、まず、中小企業の破綻、凶作の影響が挙げられ、次いで弘前市の周辺地帯である西、北、南津軽郡が水害
通史編1(自然・原始) (気象施設と観測資料)

ほかに青森地方気象台・弘前気象通報所(一九五八~一九八三年)が現在のアメダス地点にあって、水理・水害業務
通史編4(近・現代1) (農民組合の結成)

しかし、西・北二郡は生産力が低く、特に西郡は低湿地が多く、冷害・旱水害に最も弱かった地帯なので、後れた
通史編1(自然・原始) (夏)

七月末の梅雨明け近いころ、県内を横断する梅雨前線の活動で大雨が降り、洪水害が発生する年がある。
通史編2(近世1) (堀越城の限界性)

しかし、慶長年間の度重なる堀越城での家中騒動や水害により、軍事的・地形的欠陥が明らかになってきた。
通史編4(近・現代1) (大凶作下の農村)

この地域は水害及び干害に頻繁に悩まされ、土地の売却をせざるを得ない者も多く、小作農が増加していた。
通史編1(自然・原始) (大雨・豪雨と災害)

雨の降り方でみれば、山・崖崩れや都市の浸水害などは、集中的に降る短時間雨量に大きなかかわりをもっている
通史編5(近・現代2) (相次ぐ火災)

相次ぐ火災 水害同様に火災も市民を恐怖に陥れた災害であった。
通史編1(古代・中世) (文室綿麻呂の登場)

按察使の任についた綿麻呂は、弘仁二年、志波三郡(和我・薭縫(ひえぬい)・斯波(しわ))を立郡し、また水害
通史編3(近世2) (人家の火災)

人家の火災 災害は水害、風・雪害、地震、噴火などの天災によるものと、火災のような主として人の不注意による
通史編5(近・現代2) (秩父宮夫妻と弘前市民)

秩父宮は赴任後早々に起きた県内一帯の大水害に際し、弘前市内だけでなく県内各地の被害地を視察して、慰問や
通史編4(近・現代1) (旧藩体制改革への動き)

土木掛は、堤防、橋梁の修築を行い、水害を予防し、官費による修築を村費によるものに転換するなどの業務を行
通史編5(近・現代2) (東北庁設置の要望)

、更ニ天恵甚タ薄ク、僅カニ農産物トシテ年一回ノ米アルモ、昭和三、六、七、九、十年度ノ如ク打チ続ク冷害水害
通史編5(近・現代2) (上水道設備の向上)

昭和三十三年の大水害で取水堰は甚大な被害に遭った。
通史編3(近世2) (災害と生活)

○寛保の水害――「江戸日記」寛保二年(一七四二)八月二日・七日・十四日・十五日・十七日条。  
通史編5(近・現代2) (連続する災害と東北振興政策)

昭和十年には、弘前市をはじめ県の各地を水浸しにした大水害が起こった。
通史編2(近世1) (農村の再開発)

しかしその後、水害で五一軒に滅じ、再び百姓を呼び寄せたものの、飢饉によって打撃を受けた。
通史編5(近・現代2) (昭和恐慌の勃発と商工業)

陳情書  我青森県下中小商工業者は、年来の深刻なる不況に加へて、一面には昨秋未曽有の大凶作並に今夏の大水害
通史編1(自然・原始) (積雪)

また、この日に中村川・岩木川流域でも水田埋没二五〇町歩などの融雪・洪水害が発生している。
通史編4(近・現代1) (弘前の紛紜の始まり)

しかし、民力休養を願う彼の気持ちは、この夏の水害、さらに来春の融雪期への対策を差し迫ったものとしている
通史編2(近世1) (信義の襲封)

一方、水害は寛永十六年の下の切地方の洪水(同前No.六一〇・六一一)、慶安元年(一六四八)の三世寺(さんぜじ
通史編5(近・現代2) (掲載写真の典拠・所蔵一覧)

弘前市立博物館蔵 口絵14 『青森県綜観』弘前市蔵 口絵17  同 上   写真 5 『青森県水害実記
通史編5(近・現代2) (藤森市政の財政)

  ③岩木川改良工事  津軽地域における農業の母体である岩木川は、三十三年、三十五年の二度にわたる大水害
通史編5(近・現代2) (安定成長への転換)

(中略)  私共の窓口で見ていても、不振なのが建設関係で、水害で災害復旧事業があり、業者の仕事も増えていたのが
通史編5(近・現代2) (新編 弘前市史 通史編5(近・現代2) 目次)

778 第五節 災害との闘い …………………………………………………  783   一 岩木川の氾濫と大水害
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