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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (九 永禄日記(えいろくにっき))

九 永禄日記(えいろくにっき) 別名「舘越(たてのこし)日記」。,『みちのく双書』第一集として一九五六年に復刻された永禄日記は、「記録」(横山本 青森市横山武正氏蔵)を / 九 永禄日記(えいろくにっき)
資料編1(古代・中世編) (二 乳井茶臼館の歴史)

乳井大隅建清は大浦為信の麾下に属し、以後、大浦勢の有力メンバーとして行動する(『津軽一統志』『封内事実秘苑』『永禄日記,『津軽一統志』『封内事実秘苑』『永禄日記』など近世の記録は、いずれも、このとき「秋田の比山勢」が侵入して,「乳井茶臼館」に立てこもったと記す(『永禄日記』には「茶磨館」とある)。
通史編2(近世1) (一〇 平山(ひらやま)日記)

「永禄日記」を参考としたためか、類似した記事が多い。農業経済史研究の好史料。平山家蔵。
通史編3(近世2) (甲子信仰)

『永禄日記』の寛永十九年(一六四二)には、「古来より七月七日之内甲子有るは凶年と申候」とあって、豊凶に
通史編1(古代・中世) (農民の生活)

戦国時代の津軽地方における農民の生活を知る手がかりを得るものとして『永禄日記』がある。,『永禄日記』には飢饉について二つの記事が見える。
資料編1(古代・中世編) ((3) 津軽氏の政庁としての堀越城)

(3) 津軽氏の政庁としての堀越城 『永禄日記』は、天正十五年(一五八七)、「正月より堀越御城所々築直,このとき「在々住居之諸人並大浦御城下面々、堀越え御引越被仰付、其外寺社之分も引越被仰付候」(『永禄日記
通史編5(近・現代2) (虫祭り)

早くから、『永禄日記』などにその風習が記されている。
通史編3(近世2) (操人形芝居)

正徳三年(一七一三)五月には玉屋伊右衛門の操興行があった(『永禄日記』)。
通史編3(近世2) (誓願寺)

貞享五年(一六八八)に誓願寺が焼失した時に失われたものとみられる(「国日記」貞享五年三月十九日条、『永禄日記
通史編3(近世2) (祈祷の地としての南溜池)

なお『永禄日記』享保十年の条によると、弘前の町人たちが一軒につき灯籠一つを持参して南溜池に参集して神楽
通史編5(近・現代2) (イタコ)

早い記録では『永禄日記』明和九年(一七七二)の条に「巫女」の呼称で書かれている。
資料編1(古代・中世編) ((2)戦国時代の「石川城(石川大仏ケ鼻城)」)

(2)戦国時代の「石川城(石川大仏ケ鼻城)」 「前代歴譜」『津軽一統志』『館越日記(『永禄日記』一本,一気に陥落させ、南部高信を自害させて、独立への第一歩を踏み出した(『永禄日記』『封内事実秘苑』『津軽一統志
通史編2(近世1) (為信の築城計画)

この建設が築城と一緒であったのか、別であったのかははっきりしないが、『永禄日記』(北畠本)では、高岡に
通史編3(近世2) (伊勢参り)

各地で伊勢講・代々講が組織されたが(『永禄日記』)、享保六年(一七二一)、庄屋宅に宿をとった伊勢の御師
資料編1(古代・中世編) (二 大浦城の歴史)

しかし文禄三年(一五九四)、津軽為信は堀越城を修築して移り、大浦の寺院・町々も移転させたという(『永禄日記
通史編2(近世1) (堀越城への移転)

「永禄日記(えいろくにっき)」(資料古代・中世No.一〇七六)は、天正十五年(一五八七)、「正月より堀越御城所々築直
通史編3(近世2) (城下の隠売女)

、博奕を打ったり隠売女を置いた城下の町人たちが、弘前追放や町内払の刑罰を科されたことがみえるので(『永禄日記
通史編1(自然・原始) (江戸時代~明治十七年(一八八四))

江戸時代~明治十七年(一八八四) 永禄日記(えいろくにっき)(館野越(たてのこし)本)にある、亀ヶ岡城
通史編2(近世1) (本村と新田)

大湯町村は現西津軽郡木造町大湯町のことであるが、実際の開村は元禄九年(一六九六)であるという(『永禄日記
通史編3(近世2) (ねぷたの起源と変遷)

そのほかに「封内事実秘苑」・「津軽徧覧日記」(ともに弘前市立図書館蔵)、『永禄日記』(一九五六年 青森県文化財保護協会刊
通史編2(近世1) (青森騒動の経過)

訴状受理の状況をただし、名主からも公定販売の確約の印形を取ったうえで、気勢を上げて散会したという(『永禄日記
通史編1(古代・中世) (堀越城と城下町)

そのような改修・改築は『永禄日記』(史料一〇七六)にも詳しい。  
通史編2(近世1) (糧米確保)

『永禄日記』による,町米価格。 △は,1匁あたりより逆算。
通史編2(近世1) (本村と新田)

鶴田村を指すようで、鶴田村の八幡宮が弘前築城時に移され、現在弘前市にある八幡宮となったといわれている(『永禄日記
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

…………… 永禄日記・津軽一統志 301 ●永禄五年(一五六二)四月、川原御所北畠具信、波岡御所具運を,…………………………… 永禄日記 305 ●永禄十年(一五六七)ころ? ,… 愚耳舊聴記・永禄日記・封内事実秘苑 312 ●元亀三年?,………… 永禄日記・封内事実秘苑 315 ●天正二年(一五七四)三月、津軽斎藤氏、系譜を作成する。,… 愚耳舊聴記・永禄日記・封内事実秘苑 318 ●天正四年(一五七六)ころ? 
通史編1(古代・中世) (「津軽(郡)中名字」と浪岡北畠氏)

ただし、史料九五〇「永禄日記」によれば、今別城主平杢之助奥方の立願であるという)。
通史編3(近世2) (掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)

『図録 都市生活史事典』103頁 1981年 柏書房刊 129 同上 130 青森県文化財保護協会『永禄日記
通史編1(自然・原始) (第一節 注および引用・参考文献)

第一節 注および引用・参考文献 (1)A 山崎立朴 『永禄日記(館野越本-元和九年正月の条)』 一七七八年,安永七)   B 中谷治宇二郎 『日本先史学序史』 岩波書店 一九三五年十二月   C 村越潔 「永禄日記
資料編1(古代・中世編) (四 城館の構造)

述べる曲輪Ⅰ(本丸)・曲輪ⅡA(二之丸)・曲輪ⅡB(三之丸)・曲輪Ⅲ(西の小丸)に相当するもので、『永禄日記
資料編1(古代・中世編) (出典・典拠一覧(第一章・第二章))

…………………………………………………………………………………………………………… 大日本史料 え 永禄日記
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