機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 25件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
資料編3(近世編2)
(三 藩士の生活)
三 藩士の生活 (一)
江戸屋
敷の生活 (二)国元の生活 (三)藩士の住居
資料編3(近世編2)
((二)江戸における屋敷)
弘前藩の
江戸屋
敷の移動については、『津軽史』第四巻において、上屋敷や中屋敷について詳しく述べられている
資料編2(近世編1)
([口絵])
日記には国元の記録である「国日記」、
江戸屋
敷の記録である「江戸日記」があり、国日記三二九七冊、江戸日記一二一八冊,津軽弘前城之絵図(正保城絵図) 江戸幕府が正保元年12月25日、諸藩に命じて作成させたもので、当津軽家では
江戸屋
敷
通史編3(近世2)
(渋江抽斎)
また同
江戸屋
敷医官の宿直日記からの抄出『直舎(ちょくしゃ)伝記抄』を編集している。
資料編3(近世編2)
(3 柳原の中屋敷)
寛文八年(一六六八)二月には、他の
江戸屋
敷とともに焼失したものと見られるが明らかではない。
通史編2(近世1)
(慶安二年の「弘前古御絵図」)
⑤東海地方では、伊勢・尾張など、関東甲信地方では、
江戸屋
の屋号が多く、そのほか常陸・川越・甲州などがあった,山陰 石見屋 1 四国 阿波屋 1 九 州 唐津屋 宮崎屋 長崎屋 2 1 1 関 東
江戸屋
通史編3(近世2)
(抜参り)
寛政四年(一七九二)、禁止している抜参りに出かけた者は、人別・戸数改の際帳外(ちょうはずれ)とし、藩の
江戸屋
敷
通史編3(近世2)
(伊勢参り)
町年寄松井四郎兵衛と神明宮(現弘前神明宮)神主斎藤長門が町人と藩士の代参として伊勢神宮へ出かけ、帰途、
江戸屋
敷
通史編3(近世2)
(織)
なお江戸出立に際して、
江戸屋
敷御用人から国許御用人への書状を持参していたが、それには織物師両人が領内各地
通史編2(近世1)
(弘前藩庁日記の開始)
「弘前藩庁日記」には、弘前城中の記録である「国日記」と
江戸屋
敷の記録である「江戸日記」とがある。
通史編3(近世2)
(黒塗、朱塗、蒔絵に加わった変わり塗)
この結果、変わり塗のたばこ入れが好まれたのか、正徳六年(一七一六)、
江戸屋
敷からたばこ入れ七〇個に、一四種類
通史編3(近世2)
(信寿・信著・信寧時代)
による学問所懐徳堂(かいとくどう)で助教を務めていた蘭洲は、享保十二年(一七二七)に江戸に出て、同十七年
江戸屋
敷
資料編3(近世編2)
(【解説】)
第二項では、藩主の住居として弘前城の絵図のほかに
江戸屋
敷図を示した。,また、「江戸御屋敷勤方御用留」からは、
江戸屋
敷での勤務の状況をうかがうことができる。
資料編2(近世編1)
(編年史料 (天正十七年~明暦二年))
●元和五年(一六一九)八月九日、津軽信枚等、秋田久保田城主佐竹義宣の
江戸屋
敷の昼数寄に招かる。,●元和七年(一六二一)十一月六日、秋田久保田城主佐竹義宣、
江戸屋
敷の津軽信枚へ使者を遣わす。,●寛永七年(一六三〇)五月二十六日、津軽信枚、
江戸屋
敷にて秋田久保田城主佐竹義宣等を数寄に招く。,●寛永八年(一六三一)正月十四日、津軽信枚、
江戸屋
敷にて死去。,
江戸屋
敷の渡辺図書より幕府の下知次第出陣すべき旨の書状来るも、止む。
通史編2(近世1)
(城下弘前の変化)
商家では地名・国名を屋号とするものが多く、
江戸屋
・京屋・大坂屋・兵庫屋・堺屋・尾張屋・丹波(たんば)屋
通史編2(近世1)
(信義の襲封)
信義の襲封 二代藩主信枚(のぶひら)は、寛永八年(一六三一)一月十四日
江戸屋
敷において四十六歳で死去
通史編2(近世1)
(舟橋騒動)
美作・伊豆らは、上洛供奉後
江戸屋
敷には入らず、近くの浅草に町屋を借りて引きこもり、一味連判して舟橋の所業
通史編2(近世1)
(城下高岡の形成)
この絵図は、
江戸屋
敷において、狩野内膳重良(かのうないぜんしげよし)に描かせ、慶安元年(一六四八)に幕府
通史編2(近世1)
(「出頭人」の台頭)
素行が赦免された延宝三年には三次藩を辞したものと思われ、妻子を連れて江戸へ移住し、素行ともども津軽家
江戸屋
敷
通史編3(近世2)
(一〇代信順の治世)
轅輿の使用を強行した信順は、四月二十五日から閏六月六日まで七〇日間の逼塞処分となり、
江戸屋
敷の通行は西門
通史編3(近世2)
(新編 弘前市史 通史編3(近世2) 目次)
381 四 藩士の日常生活 ………………………………………… 401 五 参勤交代と
江戸屋
敷
通史編2(近世1)
(青森町の成立と青森開港)
これは津軽から同藩の
江戸屋
敷へ御膳米(ごぜんまい)(江戸藩邸で費消する台所米)の廻漕を許可したもので、
通史編2(近世1)
(津軽信枚の越後転封)
佐竹義宣の動き 月 日 津軽信枚 佐竹義宣 幕府・秀忠 3.25 秀忠の上洛発表 4.17 義宣の
江戸屋
敷訪問
通史編2(近世1)
(越後高田領検地の実施)
命を受けた直後から津軽家
江戸屋
敷では早速おもだった大名に対して事情を聞き合わせるとともに、幕府勘定組頭佐野正周
資料編3(近世編2)
(新編 弘前市史 資料編3 近世編2 目次)
三 藩士の生活 ……………………………………………………………………………… 六一七 (一)
江戸屋
敷
/ 1ページ