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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
(災害と生活)
災害と生活 江戸勤番の藩士が、江戸で遭遇した災害などにどのように対処していたか、「
江戸日記
」にみえる,○「生類憐みの令」施行の実態――「
江戸日記
」貞享四年(一六八七)六月九日条。 ,○江戸の大火――「
江戸日記
」享保六年(一七二一)三月四日・八日条、五月四日条。 ,○寛保の水害――「
江戸日記
」寛保二年(一七四二)八月二日・七日・十四日・十五日・十七日条。 ,「
江戸日記
」によれば、十七日まで毎日地震が記録されており、余震が続いていたことが知られる。
通史編2(近世1)
(三 弘前藩庁日記)
弘前城中で記録されたものを「御国(おくに)日記」といい、江戸の上屋敷(かみやしき)で記録されたものを「
江戸日記
,「
江戸日記
」は国元や幕府との連絡事項、藩主の交際に関すること等が主な内容で、総冊数は一二一四冊。
通史編2(近世1)
(弘前藩庁日記の開始)
「弘前藩庁日記」には、弘前城中の記録である「国日記」と江戸屋敷の記録である「
江戸日記
」とがある。,「国日記」は寛文元年から幕末の元治元年(一八六四)まで、また「
江戸日記
」は、寛文八年(一六六八)五月十一日,現在所蔵している弘前市立図書館には、合計四五一五冊(「国日記」三二九七冊、「
江戸日記
」一二一八冊)の日記,「
江戸日記
」の方は、藩主の公的動静、藩士の人事に関する記事が主である。
資料編2(近世編1)
(第三節 司法制度の整備)
二、「弘前藩庁日記」(弘前市立図書館蔵)は、
江戸日記
と国日記からなるが、判例については国日記から引用した
通史編2(近世1)
(越後高田領検地の実施)
では早速おもだった大名に対して事情を聞き合わせるとともに、幕府勘定組頭佐野正周に諸事の指示を仰いだ(「
江戸日記
, 精細画像で見る 二十四日には幕府目付高木守勝より検地条目と越後知行高書付一通を手渡され(「
江戸日記
,検地に着手する「竿初」は、幕府から同月二十七日と指定された(「
江戸日記
」天和二年四月十四日条)。,五月二日に検地は開始され、約二ヵ月後の七月二十七日には完了した(「
江戸日記
」天和二年八月二日条)。,検地終了の報告は、八月二日に江戸藩邸から老中・勘定頭・同組頭宛てに行われ(「
江戸日記
」天和二年八月二日条
通史編2(近世1)
(野本道玄の招聘)
以前は備後三次(みよし)(現広島県三次市)藩主浅野長照に仕えていたこと、これらのことが書かれている(「
江戸日記
,の条件どおり知行一五〇石を得たのは元禄十二年(一六九九)のことで、弘前への移住に伴うものであった(「
江戸日記
,図99.野本道玄召し抱えの
江戸日記
記事 目録を見る 精細画像で見る 道玄招聘の主な目的が彼の
資料編2(近世編1)
([口絵])
日記には国元の記録である「国日記」、江戸屋敷の記録である「
江戸日記
」があり、国日記三二九七冊、
江戸日記
一二一八冊
通史編3(近世2)
(操人形芝居)
とさのじょう)で、浄瑠璃の前中書王が終わって中入りとなり、奥で料理二汁八菜が出た後に浄瑠璃の花軍となった(「
江戸日記
資料編2(近世編1)
(―例言―)
また、弘前市立図書館津軽家文書の「弘前藩庁日記」については、国元の日記を「国日記」、江戸藩邸のものを「
江戸日記
通史編3(近世2)
(学風の変化)
して文化六年から林家塾頭佐藤捨蔵(一斎)が江戸の上屋敷で論語を講義し、藩邸に出入りするようになった(「
江戸日記
通史編2(近世1)
(「出頭人」の台頭)
、延宝八年(一六八〇)一月十一日、信政の実弟で、叔父津軽信隆の養子となった津軽政朝が家老になった(「
江戸日記
,「
江戸日記
」にこのことはみえない。延宝八年九月二十三日、興信は江戸を立って津軽へ下向。
資料編3(近世編2)
(-例言-)
、弘前市立図書館蔵津軽家文書の「弘前藩庁日記」については、国元の日記を「国日記」、江戸藩邸のものを「
江戸日記
通史編3(近世2)
(織)
野本道玄は「
江戸日記
」(弘図津)元禄六年十二月十八日条によると、家老津軽監物(つがるけんもつ)の口ききによって
通史編3(近世2)
(伊勢参り)
図246.川龍院寺請証明の
江戸日記
記事 目録を見る 精細画像で見る
通史編3(近世2)
(信政の教養)
国日記・
江戸日記
・素行日記には両者の間の頻繁な往来が記録されている。
通史編2(近世1)
(文化律)
へ派遣して「文化律」改正のための調査研究を開始し、天保三年(一八三二)五月に改正案が一応完成した(「
江戸日記
資料編2(近世編1)
(【解説】)
津軽一統志や封内事実秘苑などの編纂史料類、寛文元年(一六六一)に記録を開始する弘前藩庁日記(国日記)、同(
江戸日記
通史編3(近世2)
(能楽)
江戸藩邸へ入った信政は、四月八日には能を催し、この時三代藩主信義の正室桂林院は、御簾内で見物した(「
江戸日記
通史編3(近世2)
(出開帳)
天明元年(一七八一)七月一日から九月二日まで、岩木山三所大権現の開帳を江戸回向院で行った(「国日記」・「
江戸日記
通史編2(近世1)
(支配機構の整備)
延宝七年十二月十三日に間宮・堀・木村の三人に出した「覚」(「
江戸日記
」延宝七年十二月十三日条)によれば
通史編3(近世2)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
南津軽郡平賀町 243 和歌山県伊都郡高野町 遍照尊院 244 弘前市 長勝寺 245 個人蔵 246
江戸日記
通史編3(近世2)
((二)相撲興行)
力士大関柏戸(のち伊勢海)利助の病気が重くなったので、その功績により、老母・妻子に生涯五人扶持を与えた(「
江戸日記
通史編2(近世1)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
弘前市立博物館蔵 97 南津軽郡岩木町 高照神社蔵 98 新撰陸奥国誌 巻30 東京大学史料編纂所蔵 99
江戸日記
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