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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編1(自然・原始)
(高杉面)
また、古懸浮石流凝灰岩に相当する粘土質な凝灰質砂層も薄く載り、両層間には
泥炭層
が厚く堆積したり、インボリューション,メートル)・小友小学校(一六メートル)では、おおむね地表下五~六メートル地点に三~五メートルの厚さをもつ
泥炭層
,
泥炭層
の下位には灰白色凝灰質粗粒砂層(N値二一~三四、厚さ五~六メートル)、青灰色の砂質シルト層(N値五,
泥炭層
の上位には地表下から、黄灰色砂質粘土(N値二~四、約一メートル)・灰白色軽石粒混じりの細粒砂層(,黄灰色砂質粘土は碇ヶ関浮石層に相当し、また軽石粒混じりの細粒砂層中には埋もれ木が含まれることが多く、おそらく
泥炭層
通史編1(自然・原始)
(常盤面)
一方、引座川流域に分布する常盤面は平賀面を浸食する浅い谷状凹地であって、凹地を埋積する
泥炭層
ないし有機質,なお、浪岡町における常盤面を構成する古懸浮石流凝灰岩直上の
泥炭層
からは約五〇〇〇年の年代測定値が得られていることから,砂層中には軽石層、
泥炭層
および有機質粘土が薄く堆積していることから、再堆積物としての特徴をもつ。,なお、地表下五~六メートルまでは、暗灰色の砂質シルトと細砂の互層(N値三~七)が認められ、局部的に
泥炭層
通史編1(自然・原始)
(古懸浮石流凝灰岩)
同凝灰岩直上の
泥炭層
を測定。,壁面にみられる軽石質粘土に挟在する
泥炭層
(地表下2m)を測定。,底面にみられる軽石質粘土層直下の
泥炭層
(地表下3m)中の埋没樹を測定。,古懸浮石流凝灰岩直下の
泥炭層
中の埋没樹。,下底部の
泥炭層
。
資料編1(考古編)
(56.弘前湖盆層※Ⅱ)(ひろさきこぼんそう))
岩相は、主として砂・礫・粘土及び砂質粘土から成り、地表下110~180m及び180~250mに
泥炭層
を
資料編1(考古編)
(26.黄金山層※Ⅱ)(こがねやまそう))
泥炭層
から Menyanthestrifoliata LINNE を産し、更新統に属すると考えられている
通史編1(自然・原始)
(境関面)
地表下に軟弱なシルト層(N値二~三、厚さ約四メートル)、灰色軽石質砂層(N値三四~三九、約六メートル)、
泥炭層
,軽石質砂層(三メートル以上)の順で、また境関⑧(二五メートル)・福村小学校(二七メートル)では地表下に
泥炭層
資料編1(考古編)
(5.縄文時代の食生活)
これら食料の残り滓は、多くの人々が目に触れる遺物包蔵(含)遺跡では腐食し残存しないが、貝塚・低湿地・
泥炭層
通史編1(自然・原始)
(漆)
三内丸山遺跡の調査で「北の谷」の
泥炭層
から前期の土器(円筒下層a~b式)とともに漆を塗った品々が出土し
通史編1(自然・原始)
(地形の発達史)
なお、中里町芦野(あしの)における地下三九メートルからのボーリング試料(
泥炭層
)による年代測定では、約九,〇〇〇年前(九〇五〇±二五〇年前)の数値が得られているが、この
泥炭層
は十三湖層下部にあって、
通史編1(自然・原始)
(地形の概説)
旧河道跡については、稲垣村久米川(くめがわ)遺跡(青森県教委、一九九四)でも土地分類細部調査資料中の
泥炭層
部分
通史編1(自然・原始)
(第一期)
黒瀧神社近くでは、ゲロパーミス下の暗灰色凝灰角礫岩に対比される堆積物が一〇メートル以上と厚く、下位には
泥炭層
,下位に
泥炭層
をはさむ凝灰質粘土層が堆積する。
通史編1(自然・原始)
(城東面)
城南三丁目の山崎堤付近(五八メートル)でも二枚の軽石質砂層が堆積し、上位の砂層直下には薄い
泥炭層
が認められる
通史編1(自然・原始)
(三 津軽平野南部の地形発達)
および境関面はこの海進時に河川の氾濫によって形成されたもので、浪岡町における古懸浮石流凝灰岩の直上に載る
泥炭層
,また、古懸浮石流凝灰岩の直上に堆積する、軟弱な砂・泥・
泥炭層
の堆積物から判断して常盤面および境関面の堆積環境
通史編1(自然・原始)
([口絵])
日本海に面した出来島海岸(上)。
泥炭層
からなる海食崖には埋没樹が露出(左)し,埋没樹直上には
資料編1(考古編)
((2)県内遺跡の出土工芸品)
の技術は、その後も時代の推移とともに継承され、本県では縄文時代晩期に至ると、その存在を証明する遺物が
泥炭層
並
通史編1(自然・原始)
(松原面)
軽石質砂層直下には、新寺町では
泥炭層
(厚さ〇・五~一メートル)と砂質シルト(二~三メートル)の互層が、
資料編1(考古編)
(第4節 弘前地域内の地質系統の放射年代一覧表)
北郡金木町蒔田の岩木川の自然堤防 海津 (1976) 自然堤防堆積物が覆う
泥炭層
最上部,最上部泥層相当,西郡稲垣村再賀での埋没浅谷 海津 (1976) 谷底付近に堆積する
泥炭層
,最上部泥層相当の下部 N-
通史編1(自然・原始)
(昭和時代)
小岩井は、前述の佐藤傳蔵と同様地質学の出身であるが、特に亀ヶ岡において
泥炭層
内から獣骨や骨角器(こっかくき,)類が出土し、大きな木がローム層に根を張って
泥炭層
まで突き出ている点などを参考にして、佐藤の津波による,昭和十六年(一九四一)三月には、江坂輝彌と直良信夫(なおらのぶお)(一九〇二~一九八五)が、亀ヶ岡遺跡の
泥炭層
出土遺物
通史編1(自然・原始)
(大正時代)
いずみやまいわじろう)(一八七六~一九六三)・同斐次郎(あやじろう)(一八八八~一九八二)によって発掘され、特に特殊
泥炭層
資料編1(考古編)
((1)貝塚に見る食生活)
一方の低湿地・
泥炭層
遺跡は、動植物などが水中や泥の中に長期にわたり浸っているため、外部から侵入する腐敗,同様のことは、低湿地や
泥炭層
遺跡でも言える。
通史編1(自然・原始)
(黒石面)
その火砕流堆積物直上の
泥炭層
に含まれる埋没樹を年代測定した結果では約二万一〇〇〇年前の測定値が得られた
通史編1(自然・原始)
(平賀面)
なお、黒石面を構成する駒木浮石流凝灰岩の浸食面に、有機質粘土層ないし
泥炭層
が堆積していることから、古懸浮石流凝灰岩
資料編1(考古編)
(3.野脇遺跡)
にあって河川改修される前は、上位沖積面を蛇行する後長根川の北側にあり、調査区南端の盛土下から検出された
泥炭層
通史編1(自然・原始)
(第一節 注および引用・参考文献)
青森県師範学校附属小学校初等教育研究会 国史研究二』 一九三四年十月 (61)直良信夫・江坂輝彌 「亀ヶ岡
泥炭層
遺跡出土遺物
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