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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (糧米確保)

こうした津留(つどめ)政策(松前へは条件付きで対象外となった)は、すでに六月に鰺ヶ沢から米が移出された,四ヵ所の米留番所のうち、浜松を除く三ヵ所が黒石へのルートに当たり、七月の津留政策とのかかわりでいうと、,しかし、ここでの米買い付けは、秋田藩による津留が障害となり、国元間での交渉から江戸藩邸間での交渉に委ねられることとなったが,一方、移出については、さきに述べたように、七月からの津留政策下、条件付きではあるものの松前は除外されていた,このことは、津軽弘前藩の松前への津留除外、すなわち蝦夷地支配のための物資の供給の保証をすることになっていたにもかかわらず
通史編2(近世1) (漆の集荷・販売体制)

しかしながら十九世紀初頭の段階で、漆は津軽領では領内需要を満たすのがせいぜいで、他領への移出を禁止する「津留
通史編2(近世1) (騒動のその後)

山本は津留にもかかわらず私的な米穀まで優先して移送したことも領民の不信を買っていたが、実際は藩の政策の
通史編2(近世1) (天保飢饉と一揆・騒動)

とはいいながら、津軽弘前藩はじめ北奥諸藩が飢饉により一斉に米の津留や大量の購入を行ったせいで、大消費地
通史編2(近世1) (地方知行制の復活と借知制の実施)

たとえば、米の陸送が藩の津留(つどめ)にあって止められたりする(「国日記」正徳四年三月二十五日条)ことなどからもそれがうかがえる
通史編2(近世1) (騒動の背景)

統制を外れた不正な売買や流通を防ぐため、湊町や在方に米留(こめどめ)番所を設置し、津留(つどめ)・穀留
通史編2(近世1) (天保四年における藩の対応)

凶作の予兆が現れた七月八日には、藩はいち早く廻米を停止し津留(つどめ)の処置を講じている。
通史編2(近世1) (飢饉に至るまでの経緯)

のもとでは明治以降の凶作のように、外国から米を輸入できないことはもちろんであるが、さらに諸藩の割拠性が米の津留
通史編4(近・現代1) (運輸事業)

また、江戸時代には、自領の物価調節・産業保護のために、津留(荷留)といって、米穀その他の産物の藩外移出
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