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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (烏帽子山紛争)

一方、津軽領と南部領の領境については、文禄四年(一五九五)、津軽領は狩場沢(かりばさわ)村(現東津軽郡平内町狩場沢,この言葉は、山の入会権をめぐって黒石津軽領狩場沢村と南部領馬門村の間に対立が起こり、それが津軽弘前藩と,この争いが津軽・南部領境紛争として有名な「烏帽子山(えぼしやま)紛争」である。,津軽・南部領境上に存在し、付近の南部領の領民が入り、薪・木材・秣などを得ていた。  ,平内は明暦三年(一六五七)以来黒石津軽家の領分とされていたが、黒石津軽家が内分分家であったため、紛争の
通史編2(近世1) (北奥羽の領知確定)

津軽氏や南部氏については、現在のところ石高表記の朱印状が確認されていないが、天正十九年の十月までには両氏,に朱印状が発給されたとされており、津軽氏の場合、約三万石の領知を認められ、ほかに約一万五〇〇〇石の太閤蔵入地,津軽為信が、千徳(せんとく)氏を慶長二年(一五九七)に滅亡させ(資料近世1No.六六)、津軽建広(たてひろ,このような中で、津軽・南部領境が文禄四年に確定していく(同前No.六二)。  ,津軽の米が、浅野長吉により組屋を通じて南部領に売却されていることは、津軽領も南部領も政権からすれば一括
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