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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (津軽信英による後見政治と法令の整備)

津軽信英による後見政治と法令の整備 幕府が津軽信英を信政の後見としたのは、藩主が幼少で自ら政務を執ることが / 津軽信英による後見政治と法令の整備
通史編2(近世1) (正保の信義排斥事件)

藩主信義の不行跡により、お家安泰のため幕府に訴えて信義を押し込め処分とし、弟の津軽信英を藩主にしようとするものであった,〇〇石の加増を受けており(同前No.七〇五)、二年連続しての大幅な加増は、信義の信隆への懐柔策であり、津軽信英支持派
通史編2(近世1) (信政の襲封と黒石分知)

で信政の叔父にあたり、寛永十九年(一六四二)に幕臣として召し出されていた(同前No.六四五~六四七)津軽信英
通史編2(近世1) (一 明暦検地の意義)

明暦検地は、明暦二年二月に幕府が四代藩主津軽信政の跡目相続を認め、その後見として叔父で旗本の西丸書院番津軽信英
通史編2(近世1) (検地帳の特色)

さきに触れたように、明暦検地は、津軽信英への分知と、分家家臣団を創出するための知行割であって、その知行高
通史編3(近世2) (信政)

素行の門に入ったのは、叔父で後見者であった津軽信英(のぶふさ)の勧めによるもので、信英は死去に当たり儒教
通史編3(近世2) (信政の教養)

信政の教養 信政は寛文元年(一六六一)正月、十五歳の時に叔父であり後見人であった津軽信英(のぶふさ)
通史編2(近世1) (「出頭人」の台頭)

信政の後見を勤めた津軽信英は素行の門人になっており(入門時期不明)、やがて信政自身も思想的な支えをそこに
通史編2(近世1) (支配機構の整備)

支配機構の整備 寛文二年(一六六二)九月二十二日、津軽信英が弘前城内で死去した。
資料編2(近世編1) (【解説】)

明暦二年二月二日、江戸幕府が四代藩主津軽信政(つがるのぶまさ)の跡目相続を認め、叔父で旗本の西丸書院番津軽信英
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●寛永十九年(一六四二)八月十九日、幕府老中、津軽信吉へ奉書を下し、舎弟津軽信英の小姓組番々入に際し信吉,●明暦二年(一六五六)二月二日、幕府、津軽信義嫡子平蔵へ、老中酒井忠清宅にて跡目相続を許し、書院番津軽信英
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