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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編5(近・現代2)
(津軽塗)
津軽塗
弘前市の名産として有名な
津軽塗
は、四代藩主津軽信政が奨励して以来、代々の藩主によって名産の育成,
津軽塗
製品は明治になると次第に普及し始めるが、その契機となったのが、明治十三年(一八八〇)七月、士族授産,当時はまだ「
津軽塗
」という名称ではなく、「韓塗」と呼んでいた。,
津軽塗
は明治中期になると、高級品はもとより、一般大衆向けの製品も現れてくる。,、
津軽塗
漆器工業の発展が阻害されるのである。 /
津軽塗
資料編3(近世編2)
(三 工芸・津軽塗)
三 工芸・
津軽塗
(一)塗物の生産と技術 (二)進物・献上品としての
津軽塗
(三)塗師 / 三 工芸・
津軽塗
通史編3(近世2)
(津軽と「津軽塗」)
津軽と「
津軽塗
」 津軽地方で塗られた漆工品は、いま産地名を冠して「
津軽塗
」と総称されている。,同様に江戸時代、小浜の「稚狭考(わかさこう)」(文化五年〈一八〇八〉)には、「
津軽塗
」とあるが、弘前藩庁御国日記,(一七四〇)五月九日条、文化元年(一八〇四)十一月十四日条には、「弘前塗」と書かれ、「弘前塗」とか「
津軽塗
,この中に
津軽塗
の項があり、このころから津軽においても、津軽で塗られた漆器類を単に「
津軽塗
」と呼ぶようになった / 津軽と「
津軽塗
」
通史編3(近世2)
(江戸から明治初期への漆工芸)
伊太郎は、明治維新で廃絶の危機に立たされた津軽の変わり塗技法を後世に残した
津軽塗
の偉人である。 ,この額は、昭和五十四年(一九七九)火災で焼失したが、手板は以前に調査され、記録されていた(前掲『
津軽塗
,田中正雄、小山金五郎、田中三郎ほか一二名の努力によるものであり、この後も、さらにこれらの弟子たちによって
津軽塗
産業,
津軽塗
は、図録のなかに二四点収録されてあり、源兵衛の作品が一四点含まれている。 ,さらに明治十一年のパリ万国博覧会には小田桐勇馬とともに
津軽塗
書棚を出品し、二人とも受賞した。
通史編5(近・現代2)
(地場産業の諸相)
(一)
津軽塗
津軽塗
の漆器工業は、戦時統制下の企業整備により従業員は転廃業をやむなくされ、昭和二十二年,さらに戦後の配給統制のもと、二十二年の重要資材使用統制規則により、ほとんどの
津軽塗
製品に対し漆液の使用,しかし、これらの統制も二十五年以降完全に撤廃され、
津軽塗
はようやく戦前の面影を取り戻すようになった(旧,(二)ぶなこ
津軽塗
はバカ塗りといわれるほどていねいに塗るため、堅牢であることには定評があったが、,そこで、青森県工業試験場では、これら
津軽塗
の欠点を克服するため、郷土色豊かな漆工芸品の研究開発に取り組
通史編3(近世2)
(他領から技術を導入)
『
津軽塗
』(青森県無形文化財調査報告書第一集 一九七六年 青森県教育委員会刊)によれば、御鞘師として貞享二年,また、貞享三年(一六八六)の「町支配知行取由緒書職」(前掲『
津軽塗
』)に塗師として岩崎明右衛門・野里村作左衛門
資料編3(近世編2)
(【解説】)
(解説・小島康敬) 第三項では、工芸分野のなかでも弘前市や津軽地方とゆかりの深い「
津軽塗
」に関する,内容は、一、塗物の生産と技術、二、進物・献上品としての
津軽塗
、三、塗師の三項に分け、主として、「弘前藩庁日記,遂げてきたのか、いかなる技術集団がこれらの工芸品を製作し、それらが社会的にいかに活用されたのかなど、
津軽塗
,ここに
津軽塗
が全国的な知名度を獲得する素地が形成されたものと考えられ、おそらくそれらの製品が好評でありかつ,
津軽塗
に関しては、弘前市立博物館から刊行された『津軽の伝統工芸
津軽塗
』(一九八一年)をはじめとして多
通史編5(近・現代2)
(弘前手織)
弘前手織
津軽塗
に劣らず数百年の歴史を有する弘前手織は、元禄七年(一六九四)、
津軽塗
と同様に四代藩主信政
通史編3(近世2)
(変わり塗と池田源兵衛)
変わり塗と池田源兵衛 貞享二年(一六八五)の町支配控に、池田源兵衛の名がある(前掲『
津軽塗
』)。,大江宇右衛門が金八両五人扶持であったが、帰国したときの源太郎は、金三両二人扶持(「町年寄役人職人調帳」前掲『
津軽塗
通史編3(近世2)
(海底塗と唐塗を結ぶ磯草塗)
その第七製造商売の章に、「海底塗は津軽で生産され、
津軽塗
ともいう。法貴伝兵衛が塗ったものである。,でできた磯草塗りの文様 図155.漆漉しに使った吉野紙や布を丸めたものをひねって描いた江戸時代の
津軽塗
通史編4(近・現代1)
(日露戦後の商業)
めす 四醤油 前期に引続き商況良好なりしか四月頃に至り少しく不況に傾きたるも格別の不況を認めす 五
津軽塗
,とみ)に増加せり 四醤油 前期末と異状なかりしか八九月頃より漸々好況に向ひつゝ本期を経過せり 五
津軽塗
通史編4(近・現代1)
(漆器の商況)
価格弐百三拾円、東京市ヘ、数量三百廿個、価格五百拾円ナリ(但壱個トアルハ小包ナリ) 写真87
津軽塗
通史編5(近・現代2)
(弘前市の商工業行政の方向)
⑦
津軽塗
については要望に応えたい。,依存しつつ、弘前市は第二次、第三次産業を育成していかなければならないこと、そのために工場誘致を行い、
津軽塗
通史編5(近・現代2)
(軍人援護政策と女性の位置づけ)
そのほか、簡易な
津軽塗
、蔓細工、竹細工は青森県独特の仕事でもあり、凶作農民の救済策として奨励された副業事業,また
津軽塗
や蔓細工など、青森県の風土を象徴するような作業が組み込まれていることにも注目したい(資料近・
通史編4(近・現代1)
(在府町の偉人たち)
南島探験』の笹森儀助、大倉喜八郎と組んで実業界で活躍し、郷土振興に尽くした木村静幽、養蚕指導の山野茂樹、
津軽塗
復興
通史編5(近・現代2)
(安定成長下の労働問題)
昭和五十年に弘前労働基準監督署は、最低賃金の実施状況について、家電関係、縫製、印刷、クリーニング、
津軽塗
通史編5(近・現代2)
(ストライキの諸相)
また、徒弟制度の
津軽塗
職工たちも待遇改善を要求した。
通史編4(近・現代1)
(中国革命の義士)
中国革命の義士 山田良政(りょうせい)(明治元-明治三三 一八六八-一九〇〇)は
津軽塗
の恩人山田浩蔵
通史編4(近・現代1)
(行在所金木屋)
設け、その天井を白金巾をもって張り、別に天皇の御手道具置所とされた大座敷には金木屋の工場製品の織物や
津軽塗
通史編5(近・現代2)
(国内外の博覧会)
一九一一)が津軽韓塗漆器等を出品し受賞、明治十一年(一八七八)パリ万国博覧会では青海源兵衛と小田切勇馬が
津軽塗
,このように万国博覧会への本県の参加状況は
津軽塗
や木通蔓細工等の工芸の分野がほとんどを占め、美術の分野では
通史編5(近・現代2)
(第三回青森県鉱産物品評会)
不良引班等、改善すべき点少しとせず、尚熱誠なる努力を望む 漆器に就ては他県の作品を模倣せず本県特産たる
津軽塗
通史編2(近世1)
(林政の展開と漆木の栽培)
(いちのわたりむら)(現一野渡)、乳井村(にゅういむら)(現乳井)が含まれている(『津軽の伝統工芸
津軽塗
,俵元新田・和徳・大光寺・猿賀組など岩木川・平川流域の水田地帯には栽培が少ない(前掲『津軽の伝統工芸
津軽塗
,弘前市乳井) 3,050 館野越村(板柳町館野越) 4,100 計 54,700 注) 『津軽の伝統工芸
津軽塗
通史編5(近・現代2)
(土産品開発への模索)
市当局や観光協会の推奨する土産品は、
津軽塗
、こぎん刺し、下川原人形、あけびづる細工、ブナコ、津軽焼である
通史編3(近世2)
(江戸後期の漆工芸)
前掲『
津軽塗
』の国日記方分限帳に、津軽の塗師のことが書かれている。
通史編3(近世2)
(黒塗、朱塗、蒔絵に加わった変わり塗)
をいれたものを軟かい刷毛(はけ)で塗って乾燥させてひびを作り、これを文様として仕上げたものである(佐藤武司「
津軽塗
通史編2(近世1)
(漆の栽培奨励)
上方の技術を導入した漆栽培は寛永年間ころに始まるとされ、元禄期には現在の
津軽塗
の原型になった唐塗(からぬり
通史編5(近・現代2)
(市の対応策と市民の反応)
郷土人形、目屋人形、錦石細工、あけび蔓(つる)細工、竹細工、挽物、悪戸焼、
津軽塗
下駄のほかに、りんご加工品
通史編5(近・現代2)
(昭和初年の弘前の工業生産)
ネルの如き、北海道、東京方面に売行良好であるが、現在の製造能力では、其注文に応じ兼ぬる状態にある、殊に
津軽塗
通史編4(近・現代1)
(巡幸の日誌と弘前)
号して
津軽塗
となす。前年市店火を失す。延焼千余戸。今旧観に復す。
通史編3(近世2)
(諸家業と職人)
また、塗師屋の中に
津軽塗
の祖といわれる池田源兵衛の名前がみえるのは注目される。
通史編2(近世1)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
『目で見る津軽の歴史』76頁 昭和55年 弘前市立博物館刊 表23 作成 表24 『津軽の伝統工芸
津軽塗
資料編3(近世編2)
(新編 弘前市史 資料編3 近世編2 目次)
三)復政談 ………………………………………………………………………………… 九五六 三 工芸
津軽塗
,技術 …………………………………………………………………… 九七九 (二)進物・献上品としての
津軽塗
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