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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (一〇代信順の治世)

そこで家老津軽多膳(たぜん)は信順に詰め寄り、天保四年八月に増衛の屋敷の廃棄と彼女の国元送りを承諾させた,結局信順はこの案を受け入れざるをえなかったが、増衛を奪われた件も重なり、津軽多膳に対する怒りは頂点に達,同十月九日、国元に下向していた津軽多膳らは笠原を筆頭とする国元家臣団らと財政復旧の会議を持った。,この席上、津軽多膳派が今までの緊縮財政を維持するしか特段の思いつきはないと発言したのを、笠原は無能と決,また、津軽多膳派を弾圧した際の処罰が長く恨みを買い、謹慎中の多膳がひそかに復権を狙うなど、政権の安定を
通史編2(近世1) (意見書提出の奨励)

山田彦兵衛勝令(やまだひこべえかつはる)(用人)・大谷津七郎茂成(おおやつしちろうもりしげ)(江戸用人)と津軽多膳貞栄,多膳が、天明三年九月から十月にかけて、当時江戸にいた藩主信寧に領内の状況を訴え出るという、いわゆる「津軽多膳出府
通史編2(近世1) (在宅制度廃止以前の廃田・新田開発)

められ、天明五年二月二十八日に藩は「当仕込世話役」として、在方七六名、城下五五名の者を任命し、さらに家老津軽多膳
通史編3(近世2) (津軽永孚)

津軽永孚 津軽永孚(一七七三~一八二八)は家老津軽多膳の子で、幼年より漢学を山崎図書(蘭洲)に従って
通史編3(近世2) (一一代順承の治世)

前にも述べたように津軽多膳派と笠原近江派の派閥抗争は安政期にも政局の底でくすぶっており、決して藩は一枚岩
通史編2(近世1) (文化~文政期の藩財政)

寛政三年(一七九一)には江戸・大坂の銀主に借金返済の繰り延べを依頼する事態となり、年限が来た同五年に家老津軽多膳
通史編3(近世2) (二 藩主の日常生活)

終わって山吹ノ間へ出座し、家老津軽多膳(たぜん)と会い藩政について用談・決裁――来年の年男の件、鰺ヶ沢
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