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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(古代・中世) (津軽安藤氏)

津軽安藤氏 こうした境界の地の支配者を代表するものが、津軽安藤氏である。,津軽地方の地頭代官は、これまで見てきたような有力御家人の一族と目される人々が大半であったが、そうしたなかで津軽安藤氏,津軽安藤氏の存在は、かつて「青森県中世史上の惑星」と評されるなど(その後裔安東愛季は、京都妙心寺の僧から,に残るその痕跡や、安藤氏の周辺をも含めた新たなる史料の発掘を押し進めて、従来の研究の限界を打ち破り、津軽安藤氏,それに伴う「もう一つの日本」=「ひのもと」、すなわち北方世界の歴史の再評価といった研究動向のなかで、津軽安藤氏研究 / 津軽安藤氏
通史編1(古代・中世) (渡嶋の終焉)

一方、こうした北奥の実力者としての津軽の蝦夷の伝統は、中世津軽安藤氏に引き継がれていくこととなるのである
通史編1(古代・中世) (三沢安藤四郎の活躍)

この三沢安藤四郎も先の安藤次と同じく、津軽安藤氏と同族であろう。
通史編1(古代・中世) (北の認識)

この点から見て興味深いのが、津軽安藤氏関係の史料群である。
通史編1(古代・中世) (得宗領・安藤氏との関わり)

されたものらしいが、土崎湊といい、外浜といい、藤崎湊といい、能代湊といい、いずれも唐糸伝説を伝える寺院が津軽安藤氏
通史編1(古代・中世) (安藤氏の系譜認識)

安藤氏の系譜認識 地方豪族が通常そうであるように、津軽安藤氏の場合も、その出自の実態についてはまったく
通史編1(古代・中世) (検断奉行への抜擢)

その冒頭で触れているのは、やはり津軽安藤氏の動向であった。
通史編1(古代・中世) (海の民・山の民としての安藤氏)

史料五三二)にみえる、阿津賀志山合戦に際して活躍した「山案内者」安藤次や三沢安藤四郎についても、やはり津軽安藤氏一族
通史編1(古代・中世) (田村麻呂と頼朝)

そしてこの悪路王高丸こそ、津軽安藤氏の始祖説話中の重要な人物となっていくのであるが、このことはまた後に
通史編1(古代・中世) (鳥取越えの奇襲と安藤次)

この人物は奥州一円の山や海を舞台に広く活動していた津軽安藤氏の同族と推定されている。
通史編1(古代・中世) (嫡流と庶流)

嫡流が「太郎」の系統から庶子家へ変わることは津軽安藤氏の場合にもみられることであるし、北条氏嫡流も「四郎
通史編1(古代・中世) (安藤氏の特殊な氏族結合)

こうした海の民・山の民としての在り方こそ、津軽安藤氏の元の姿であった。
資料編1(考古編) (4.15世紀の様相)

4.15世紀の様相 15世紀の前半は津軽安藤氏の最盛期と考えられる時期、後半は南部氏の支配が広がる時期
通史編1(古代・中世) (嘉元鐘銘文に登場する鎌倉武士)

さて、これら津軽の有力武士たちのなかで、最も勢力のあったと推測される津軽安藤氏「安倍季盛」の前に名を連,こうしたことを前提に考えるとき、地元の大豪族津軽安藤氏の前に名が置かれているこれら四人は、関東に本拠を
通史編1(古代・中世) (エゾ=アイヌ)

こうした中央の蝦夷認識を受けて、やがて、蝦夷系譜を強く意識した津軽安藤氏が台頭してくる。
通史編1(古代・中世) (藤崎系図)

ここに初めて安東姓がみえ、高星が津軽安藤氏の祖であるという説の根拠となっている。
通史編1(古代・中世) (安藤の乱の展開)

後述するが、南北朝期以後には、出羽国小鹿島の安東氏を上国、津軽安藤氏を下国と称するようになっていくものと
通史編1(古代・中世) (蝦蛦)

写真10『日本紀標註』巻之八  ちなみに、エゾの子孫を名乗った津軽安藤氏の末裔・秋田氏に伝えられた
通史編1(古代・中世) (三 北奥宗教界の中世的転回)

その段階的支配のなかで、一つのエポックは、なんといっても、義時による津軽安藤氏の取り立てであった。,津軽に置ケル、彼等カ末葉也」(『異本伯耆巻』)という三つの史料が伝えるように、東国、とりわけ北辺の地は津軽安藤氏
通史編2(近世1) (中世の北国海運)

根拠を置いた安藤氏の支配下にあるとする説と、安藤氏とは無関係であるとするという説とがある(小口雅史「津軽安藤氏
通史編1(古代・中世) (新編 弘前市史 通史編1(古代・中世) 目次)

370    二 南北朝期の津軽曽我氏の動向 ……………………………  373    三 南北朝期の津軽安藤氏
通史編1(古代・中世) (一 古代における北奥の宗教世界)

まず、「蝦夷管領」津軽安藤氏の祖たる「東夷の酋長」「六箇郡之司」の安倍氏は、その政治的拠点の十三湊に広,しかも、ともに天台宗を基調とする津軽安藤氏の山王坊と平泉藤原氏の中尊寺の建造物には、建築学的に一定のかかわりも
通史編1(古代・中世) (四 執権時頼の東国廻国をめぐって)

古代の安倍氏の血を引く津軽安藤氏は「因果の道理を弁(わきま)へて」二つの拠点地域に多くの堂塔を造営した
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