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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(自然・原始) (津軽平野)

津軽平野 東方の津軽山地と、西方の岩木火山および屏風山との間には、きわめて低平な津軽平野が東西五~一六 / 津軽平野
通史編1(自然・原始) (津軽平野深部の地質)

津軽平野深部の地質 津軽平野南部の深度四〇〇メートルから一〇〇〇メートルに分布する地質は、掘さく深度,① 津軽平野南部地域の深部地質は、津軽平野中央断層(仮称)を境に東西で異なった岩相層序からなる。,② 津軽平野中央断層の東側の地質系統は、温泉水を含む地下水系を強く反映したものである。,③ 津軽平野中央断層の東側は、平賀町から黒石市の丘陵・山地に分布する新第三系中新統の板留層と温湯層相当層,④ 津軽平野中央断層の西側は、おもに弘前市南部の山地に分布する新第三系中新統の大和沢層・松木平層・大秋層相当層 / 津軽平野深部の地質
通史編1(自然・原始) (津軽平野中央断層)

津軽平野中央断層 津軽平野中央断層(仮称)は、温泉掘さく深度と泉質組成分布から推定されるもので、弘前市新里 / 津軽平野中央断層
通史編1(自然・原始) (三 津軽平野南部の地形発達)

三 津軽平野南部の地形発達 これまで津軽平野南部における地形発達およびその構成層の概要をボーリング資料,津軽平野南部における、このような地形の発達を十和田カルデラに起因する噴火活動と関連させて考察する(図6,表6 津軽平野南部における地形発達  第四紀更新世の最終間氷期(約一二~一三万年前)は世界的に温暖,な時期であって、津軽平野は顕著な海進によって水没し海岸線が大きく湾入した環境であった。,浸食基準面の大幅な低下により、平野南部に形成された扇状地は大きく開析され、津軽平野全体が深いV字状の谷地形 / 三 津軽平野南部の地形発達
通史編1(自然・原始) (津軽平野を覆っていた海)

津軽平野を覆っていた海 この時代(約一〇〇万年前から三五〇万年前ころ)は鮮新世から更新世前半の地質時代,日本海側から陸地深く侵入した海は、現在の津軽平野となっている広大な低地はもちろんのこと、その周辺を含めた / 津軽平野を覆っていた海
通史編1(自然・原始) (四 地質構造)

四 地質構造 ここでは温泉の掘さく深度と泉質組成の分布に基づいて、津軽平野の地下に伏在する断層系について,図45 津軽平野南部に推定される断層(南北系) (国土地理院発行20万分の1地形図「弘前」・「青森」
通史編1(自然・原始) (一 平野の地下地質の評価法)

弘前市の位置する津軽平野南部の地下地質を総合的に把握する本格的な試みは、岩井(一九七九・一九八〇)や酒井,津軽平野の地下地質を構成する地質系統の岩相層序については、五万分の一地質図幅「黒石地域の地質」(村岡・,また、津軽平野周辺の丘陵や山地に分布する地質の層序区分と対比については、図34を参考とした。,表7 津軽平野南部の地質構成 ※地質年代は村岡・長谷(1990)による 図34 津軽平野東南部及,以下に、これらの用語を解説しながら津軽平野を構成する地質について考察を進める。
通史編1(自然・原始) (黒石逆断層系)

黒石逆断層系 黒石逆断層系は、村岡・長谷(一九九〇)が、津軽平野南縁部と脊梁西縁部との境界に発達する,本断層の存在もしくは延長連続を示唆する温泉は、津軽平野南東縁部の東北自動車道の西側に分布し、想定される
通史編5(近・現代2) (岩木川の大氾濫)

県境付近を流れる上流部は急斜面を奔流し、中流以降、突如津軽平野に注ぎだす。,中流から十三湖の河口付近に至る下流にかけては、津軽平野の平坦地を延々と蛇行する。,もちろん太古の昔から岩木川が何度も氾濫を続けてきたおかげで、津軽平野一体は地味の肥えた土壌となり、今でも,この豪雨によって岩木山とともに「津軽平野の母として親しまれてきた岩木川」は、「瞬時にして一面の泥海と化
資料編1(古代・中世編) (一 大浦城の立地と現状)

中世の当地域は、津軽鼻和郡大浦郷に属し、津軽平野西部の岩木山麓に位置することから「西根」とも称された。,ちなみに「大浦」の名は、「東根」(津軽平野東部)の平賀郡を「上浦」というのに対して付けられたという。,地理的に見て、ちょうど西浜(西海岸)と内陸を結ぶ街道が津軽平野に出た地点に当たり、交通の結節点で、かつ
通史編1(自然・原始) (ヤマセの風向性)

津軽平野に流入するヤマセ経路は、太平洋側から陸奥湾を経て青森湾から、北東風で入るのが主流と思われる。,長い行程で津軽平野に流入したヤマセは、変質しながら周辺の地形で曲折し、岩木山を迂回して西海岸方面に吹き
資料編1(古代・中世編) (一 石川城の立地と現状)

この地点は、尾開山(おびらきやま)から北に伸びる丘陵が津軽平野の南端に接する場所であり、広大な津軽平野,が終わって、平川河谷へと変わる地点、つまり津軽平野の南の入口・境界に位置している。
通史編1(自然・原始) (掘さくの深度)

津軽平野南部の温泉掘さく深度は、地下三〇〇メートルから一一〇〇メートルである。,五〇〇メートルより浅い温泉は弘前市街地に多く、北方の藤崎町・板柳町付近では点在し、津軽平野南部の中央部,変位が想定されることから、岩井(一九八〇)が指摘するように断層と考えるのが妥当である(以下この断層を、津軽平野中央断層
通史編1(自然・原始) (地形の概説)

地形の概説 ここで、津軽平野の地形発達について概説する。,図5には沖積低地内の模式的な堆積地形を示したが、海津(一九七六)によると津軽平野もほぼ同様な発達を示していて
通史編1(自然・原始) (第四節 引用・参考文献)

第四節 引用・参考文献 (1)岩井武彦(一九七九) 青森県津軽平野地域における温泉群の研究、青森県環境保健部,(14)地質調査所(一九九〇) 青森県域重力図(ブーゲー異常) (15)鎌田耕太郎(一九九三) 津軽平野
通史編1(古代・中世) (一 十三湊と津軽)

津軽平野部を流れる岩木川(いわきがわ)をはじめ平川(ひらかわ)・浅瀬石川(あせいしがわ)・十川(とがわ
通史編1(自然・原始) (地形の発達史)

津軽平野北部の湿地帯下に堆積する「五所川原礫(れき)層」は、最終氷期に向かう寒冷化の時期あるいは最終氷期最盛期,その当時の津軽平野は、下刻(かこく)作用により深いV字状の河谷(古岩木川)であって、十三湖付近では日本海側,図6 津軽平野における古地理の変遷図 (海津,1994より転載) 写真4 岩木川河床にみられる
通史編1(自然・原始) (日降雪量と年合計降雪量の分布)

青森平野は、東部、西部の山地に挟まれ、南方には八甲田山があり、風上側の南西側に袋状の津軽平野南部地域がある,西寄りの季節風は袋状の津軽平野南部で拡散し、それが八甲田山系の風上斜面側を迂回する収束帯を形成するという,津軽平野は、岩木川に沿う北西方を除き山地多雪地帯に囲まれ、弘前、中・南津軽地域は、四メートル台の相対的
通史編1(自然・原始) (岩木山東縁断層)

岩木山東縁断層 津軽平野西縁部の岩木山東縁断層(仮称)は、炭酸ナトリウム型泉質組成の温泉および空中写真
通史編1(自然・原始) (平野内の水系と等高線の配置)

平野内の水系と等高線の配置 津軽平野および周辺の水系として、まず一級河川である岩木川があげられる(図,岩木川は総延長約一〇二キロメートルあって、白神山地の雁森(がんもり)岳に発源し、津軽平野を縦断し日本海
通史編1(自然・原始) (大規模な海底地滑りの痕跡)

二五〇万年~一五〇万年前ごろ、日本海側から陸地の内部に広く海が侵入し、現在の津軽平野を飲み込むように、,津軽平野は広く海に覆われ,南の方にあった碇ヶ関カルデラからは,時々火砕流が周囲へ流れ出していた。,津軽平野の地下にも分布しているが(第一章第四節参照)、その一部は市内の笹森(ささもり)山(写真52)や,この時期のカルデラは、現在の津軽平野よりやや広い範囲を覆うように広がっていた海域の南の方に三つもあり、,図49 鮮新世から更新世にかけて,津軽平野の南東部にあった三つのカルデラの位置。
資料編1(古代・中世編) (三 板碑の造立者とその時期)

三 板碑の造立者とその時期 津軽平野内陸部の板碑は、十三世紀後半から十四世紀前期にかけて造立されたものが,また、津軽平野内陸部でも、大鰐町や弘前市乳井・国吉などには鎌倉時代に造立されたものが多い。,津軽平野内陸部の北辺でも確認できる板碑は少ない。
通史編2(近世1) (堀越城への移転)

堀越の地は、中世において津軽平賀(ひらか)郡に属していたが、この地は津軽平野南部を南北に縦断して流れる,大浦の地は戦略的要地ではあるが津軽平野の西に偏り、津軽全域を支配する本拠地としては不十分であり、これに,太閤蔵入地は、岩木川・平川・浅瀬石川の三つの河川を分岐点とする津軽平野中心部一帯に設定され、為信はその
資料編1(考古編) (18.尾開山凝灰岩※Ⅷ)(おびらきやまぎょうかいがん))

本層に対比される凝灰岩は、津軽平野の鮮新統や第四系下にも分布する。層厚150~250m。  
資料編1(考古編) (第2節 地質系統一覧)

第2節 地質系統一覧 この地質系統一覧は、弘前地域及び津軽平野の地質に関して、これまでに出版されている
通史編1(自然・原始) (位置と地勢)

下北半島山地(平均標高二〇〇メートル)、東部丘陵地(平均標高一〇〇メートル、一部二〇〇メートル以下)および津軽平野,浅瀬石(あせいし)川、平(ひら)川、十川(とがわ)を合流し津軽平野の中央を北北西に流れて日本海に入る。
通史編1(自然・原始) (地下水系)

津軽平野南部地域の温泉は、中性泉からアルカリ泉である。
通史編1(自然・原始) (県内の月別降水量)

津軽平野は周囲三方の山地多雨域に比べ相対的に極小域である。,津軽平野から青森平野にかけては四〇〇ミリと少なく、周辺の山地との差が明瞭に現われている。,山岳の積雪は暖候期における重要な水資源として備蓄の役割を果し、下流の津軽平野を潤す。  
通史編1(自然・原始) (岩木火山の姿)

一方、板柳町から藤崎町にかけては岩木火山の雄姿が一変し、まるで「屏風」のようなイメージをもつが、津軽平野特有
資料編1(考古編) (32.住吉軽石流堆積物Ⅴ)(すみよしかるいしりゅうたいせきぶつ))

古期火山扇状地面の形成後に岩木火山から噴出し、東麓に流下して古岩木火山丘陵を刻む谷を通過し津軽平野に広
資料編1(考古編) (第1節 地質の概要)

圧縮傾向が強まり、脊梁部の隆起が著しくなって山脈を形成し、更新世に入るとその前縁部の窪(くぼ)地に当たる津軽平野,図1 弘前地域の新第三系の地質図(生出・中川・蟹沢,1989,より転載)  津軽平野は、第四紀に,図2 津軽平野模式断面図 A:山田野層、B:高根礫層、C:出来島層、D:砂丘、YT:山田野段丘、TT:,森吉火山列に属する岩木火山は、津軽平野南西縁に位置する東西約12km、南北約13kmの円錐形を呈する成層火山,なお、十和田火山及び八甲田火山起源の火砕流堆積物の一部が津軽平野へ流下し堆積しているのが確認されている
通史編1(古代・中世) (津軽平賀郡への入部)

岩木川上流を中心とした津軽平野の一部を形成する肥沃な水田地帯は、津軽地方でも早くから開けた場所であったと,また秋田の比内から津軽に入る奥大道のルート上にあり、津軽平野の咽喉(のど)を押さえる交通の要衝でもあった
資料編1(古代・中世編) (一 堀越城の立地と現状)

城跡のある堀越集落は、岩木川の支流の一つ平川と大和沢川の合流点から南西五〇〇メートルの、津軽平野南部の,堀越の地は、中世において津軽平賀郡に属していたが、この地は津軽平野南部を南北に縦断して流れる平川(中世
通史編2(近世1) (大浦城の構造)

大浦城の構造 大浦城を含む中世の当地城は鼻和郡大浦郷に属し、津軽平野西部の岩木山麓に位置することから,太閤蔵入地が岩木川・平川・浅瀬石川の三つの河川の分岐点を中心とする津軽平野中心部一帯に設定されたと推定
通史編1(自然・原始) (屏風山)

からなる「屏風山(びょうぶさん)」が、東西幅三~四キロメートル、南北に約三〇キロメートルと帯状に発達し、津軽平野
通史編1(自然・原始) (水質)

津軽平野南部地域の地下に蓄えられている地下水が循環水であることを考えたとき、帯水層の対比を行う際に、水質
資料編1(考古編) ([口絵])

〔阿闍羅山から望んだ津軽平野〕 大鰐山地を源とする平川は、後カルデラ丘としての阿闍羅山の裾野を通,火砕流凝灰岩は、少なくとも2万8,000年前と1万3,000年前の2回にわたって平川及び浅瀬石川流域を通って津軽平野,弘前市街地及び津軽平野下でのボーリング資料等で確認される浮石凝灰岩はそれらと同質ではないだろうか。
資料編1(考古編) (9.岩木火山噴出物※Ⅱ)Ⅴ)(いわきかざんふんしゅつぶつ))

9.岩木火山噴出物※Ⅱ)Ⅴ)(いわきかざんふんしゅつぶつ) 津軽平野南西縁に位置する岩木火山は、古くから
通史編1(自然・原始) (津軽山地)

半島脊梁(せきりょう)部にはほぼ南北に縦走する津軽山地(中山(なかやま)山脈ともいう)があって、西側に津軽平野
資料編1(考古編) (4.発掘調査以外の遺跡)

悪戸焼の表採資料及び発掘資料を紹介している事例として、半澤紀の「歴史と文化誌津軽平野第4号」(1994
資料編1(古代・中世編) (五 種子と名号)

比率が低く、名号と〝〓〟(キリーク)が他の種子を圧し、阿弥陀如来に対する信仰が強いことを実証しており、津軽平野内陸部
通史編1(自然・原始) (平野南縁の地形区分)

図20 津軽平野南縁における水系と等高線図  黒石市は浅瀬石川北岸に発達する開析された扇状地(9,図21 津軽平野南部における地形分類
通史編1(自然・原始) (海に流れ込んだ火砕流)

そのほかにも浪岡町王余魚沢(かれいざわ)、五所川原市の東方など津軽平野周辺では、多くの場所で白色の軽石凝灰岩,表12 津軽平野周辺に分布する火砕流堆積物と溶岩の年代 試料の採取位置 岩 相 年代値 地質年代 地層名
通史編1(自然・原始) (新編 弘前市史 通史編1(自然・原始) 目次)

 ………………………………………………………………………  12 第一章 津軽の自然  1 第一節 津軽平野,……………………  2   一 弘前市の位置および外形 ……………………………………  2   二 津軽平野,の地形区分 …………………………………………  4   三 津軽平野の地形発達 ……………………………,………………  21   四 岩木火山発達史 ………………………………………………  30 第三節 津軽平野南部,………………  51   二 弘前市街地の地形 ……………………………………………  79   三 津軽平野南部
通史編4(近・現代1) (大戦景気と弘前市)

弘前市は肥沃な津軽平野のなかにあり、やませの影響も少なく、稲作栽培に適していた。
通史編1(自然・原始) (ヤマセと冷害)

冷害年の昭和五十五年(一九八〇)の事例では、ヤマセ日の日照時間は、津軽平野や西海岸地域では太平洋側や東津軽郡
通史編1(古代・中世) (五所川原窯跡群の操業)

五所川原窯跡群の操業 九世紀中葉以降、大集落が営まれる津軽平野の大規模開拓の時期に呼応するかのように
通史編1(古代・中世) (県下の諸郡)

古代末期の津軽平野の大開拓は、まさにこの平賀郡域から開始された。  
通史編1(自然・原始) (泉質)

津軽平野南部地域の泉質は、非炭酸ナトリウム型(NaCl型)・炭酸ナトリウム型(HaHCO3型)・非炭酸,炭酸ナトリウム型の泉質は、津軽平野南部西縁、弘前市街地中心部から弘前市浜の町、弘前市街地東縁から藤崎町,非炭酸ナトリウム+非炭酸カルシウム型の温泉は、津軽平野南縁部から南東縁部に分布する他、岩木山周辺に点在,津軽平野南縁部の温泉は丘陵に位置し、周辺には新第三系中新統の松木平層や大和沢層が分布する。,津軽平野南縁の丘陵部に分布する大和沢層や松木平層と、弘前市街地の深部に分布する大和沢層・松木平層相当層
通史編1(自然・原始) (真夏日・夏日・真冬日からみた地域特性)

この出現日数は青森・津軽平野とも四〇日を越える。特に、弘前、中・南津軽地域は六〇日を越える。,東京一〇六日、八戸四二日、酒田七一日などとなっていて、真夏日・夏日の出現日数では、秋田、盛岡、酒田と津軽平野内陸
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