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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(古代・中世) (津軽曽我氏の滅亡)

津軽曽我氏の滅亡 観応元年(正平五年、一三五〇)十一月、足利尊氏との確執から弟直義(ただよし)が南朝,ただ本来、津軽曽我氏に伝来しているはずの所領や軍忠関係をはじめとしたさまざまな古文書が、現在は遠野南部家文書 / 津軽曽我氏の滅亡
通史編1(古代・中世) (鎌倉幕府滅亡と津軽曽我氏)

鎌倉幕府滅亡と津軽曽我氏 元弘三年(一三三三)閏二月の後醍醐天皇の隠岐脱出に始まり、同年五月の足利尊氏,く南北朝の動乱に至るまで、この津軽の地でも、そうした中央の政情激変の一端を担う戦乱が続くことになり、津軽曽我氏,図41 南北朝期における津軽の楯  津軽曽我氏の嫡流である光頼(光称(こうしょう))・光高(のちの / 鎌倉幕府滅亡と津軽曽我氏
通史編1(古代・中世) (津軽曽我氏の出自)

津軽曽我氏の出自 平賀郡を中心に活躍した津軽の中世武士としてよく知られているのが曽我氏である。 / 津軽曽我氏の出自
通史編1(古代・中世) (津軽曽我氏の所領・鼻和郡)

津軽曽我氏の所領・鼻和郡 文和四年(一三五五)の「あへのうちめうあ(安倍氏妙阿か)譲状」(史料七一三 / 津軽曽我氏の所領・鼻和郡
通史編1(古代・中世) (津軽曽我氏の所領・名取郡)

津軽曽我氏の所領・名取郡 光弘は宝治元年(一二四七)七月、宝治合戦の勲功の賞として陸奥国名取郡土師塚 / 津軽曽我氏の所領・名取郡
通史編1(古代・中世) (津軽曽我氏の所領・岩楯村)

津軽曽我氏の所領・岩楯村 津軽曽我氏の津軽地方における所領は、文書で確認できるもののすべてが津軽平賀郡 / 津軽曽我氏の所領・岩楯村
通史編1(古代・中世) (津軽曽我氏の所領・平賀郷)

津軽曽我氏の所領・平賀郷 次に平賀郷(平賀町・大鰐町付近)について見てみよう。 / 津軽曽我氏の所領・平賀郷
通史編1(古代・中世) (嘉元鐘銘文に登場する鎌倉武士)

また一人おいて「平經廣(つねひろ)」なる人物がみえるが、平姓であるのでこれも津軽曽我氏であろう。,写真114 十三湊新城記  とするとその間に入る「沙弥行心(ぎょうしん)」も、配列からみて津軽曽我氏,この津軽曽我氏は、仇討ちで有名な曽我兄弟の義父曽我太郎祐信(すけのぶ)の一族であるが、当初においては関東,執権義時のころには平賀郡岩楯村・平賀郷の地頭代職を得ていたことが古文書で知られているが、津軽曽我氏については,「平高直」は平姓であることから、従来「平經廣」「沙弥道性」らと同じく津軽曽我氏かとも推測されてきたが、
資料編1(古代・中世編) ((1) 南北朝時代の「堀越楯」)

曽我貞光は、津軽曽我氏の嫡流で、鎌倉幕府滅亡後、いちはやく朝廷側につき、元弘三年(一三三三)から翌建武元年,津軽における南北両党の合戦はその後も続き、十四世紀後半に津軽曽我氏は南部氏によって滅ぼされるが、「堀越楯
通史編1(古代・中世) (曽我氏系図の復原)

曽我氏系図の復原 津軽曽我氏については、平賀郡を中心として鎌倉時代から南北朝時代にかけての比較的豊富
通史編1(古代・中世) (嫡流と庶流)

現存する古文書からみるかぎりでは、津軽曽我氏に関する所領の譲与・安堵・伝領などがすべて惟重の系統で行われていることから
通史編1(古代・中世) (南北朝の動乱と曽我氏)

建武三年(延元元年、一三三六)正月、足利尊氏の御教書(みぎょうしょ)を受けた安藤家季が合戦奉行となると、津軽曽我氏嫡流
通史編1(古代・中世) (所領の経営)

このことから津軽曽我氏も鎌倉近辺に経済活動の拠点を持っていたであろうことが推測されている。  
資料編1(古代・中世編) ((1)南北朝時代の「石川楯」)

していたと思われ、給主曽我光高は、国府=建武政府側について奮戦したが、もと得宗被官で平賀郡に勢力を持つ津軽曽我氏
通史編1(古代・中世) (津軽平賀郡への入部)

仇討ちの直後、兄弟の義父である曽我太郎祐信が「免-二除曽我荘乃貢一」されていること(以上『吾妻鏡』)、津軽曽我氏
通史編1(古代・中世) (新編 弘前市史 通史編1(古代・中世) 目次)

370    一 奥羽の建武新政 ……………………………………………  370    二 南北朝期の津軽曽我氏
通史編1(古代・中世) (掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)

「北条時頼説話の分布と成立要因」『伝承文学研究』45号 1996年 三弥井書店刊 図40 小口雅史「津軽曽我氏
通史編1(古代・中世) (四 執権時頼の東国廻国をめぐって)

「沙弥道性」「沙弥行心」「平經廣」は、平姓の津軽曽我氏であろう。
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