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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (津軽永孚)

津軽永孚 津軽永孚(一七七三~一八二八)は家老津軽多膳の子で、幼年より漢学を山崎図書(蘭洲)に従って,津軽永孚、山崎図書以下の学校御用懸は昌平坂学問所や熊本藩校時習館(じしゅうかん)を範とし、図面や資料を / 津軽永孚
通史編3(近世2) (学校開設準備)

藩校創設の機運は熟し、寛政六年八月十一日には津軽永孚(ながざね)が学校創設の総責任者として用人に登用され
通史編3(近世2) (学風の変化)

以上のような藩内の知的状況に加えて、総司津軽永孚が荻生徂徠やその高弟太宰春台の学説を信奉していたことが,図167.荻生徂徠肖像  稽古館で中心的役割を果たしていた津軽永孚が、寛政十一年(一七九九)六月
通史編3(近世2) (入学式)

「司会」、郡奉行を「郡正」、町奉行を「市正」、人別方を「民籍」などと呼んで、これら「凡て唐流の棟梁は津軽永孚
通史編3(近世2) (教科目)

創設当初の稽古館におけるこうした徂徠学的痕跡は、徂徠学を信奉した津軽永孚の意向が反映されたことによる。
通史編3(近世2) (学官の職掌)

寛政八年五月、同年六月二十三日、学官員の任命があり、総司津軽永孚を筆頭に、小司(大目付次順格)山崎図書
通史編3(近世2) (学校造営)

事実、学校創設の総責任者であった津軽永孚は徂徠学に傾倒していたし、藩では釈奠・養老の礼が藩主の臨席のもと
通史編3(近世2) (稽古館の儒学者たち)

稽古館の儒学者たち 稽古館を彩った歴代の儒学者には、津軽永孚、山崎蘭洲に加えて、伴才助、唐牛大六、葛西善太
資料編3(近世編2) (【解説】)

寛政六年八月、津軽永孚(ながざね)を総司として、山崎図書等に学校御用懸が仰せ付けられ、創設に向けて準備
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