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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (津軽産業会の活動)

津軽産業会の活動 明治期の弘前市産業界をリードした津軽産業会の成立期以来の活動について、同会の理事として,活動した成田果が沿革誌をまとめているので、これによってその内容を振り返っておきたい(成田果『津軽産業会沿革,化育社が津軽産業会として活動するまでの経緯は既に見た(本書第一章第三節)。,なお、明治三十二年(一八九九)時点での津軽産業会の定款と役員は次のとおりである。    ,『津軽産業会報』は翌年一月に次のように論じている。 / 津軽産業会の活動
通史編4(近・現代1) (勧業諸会の展開)

産業会は明治二十二年に津軽産業会と名称変更した(成田果『津軽産業会沿革』一八九九年)。,写真16 津軽産業会館(現東北電力敷地)  明治二十年と二十一年には、中津軽郡が公立農工商談話会
通史編4(近・現代1) (組織的活動-化育社)

私立農談会は、明治十九年(一八八六)私立産業会、明治二十二年(一八八九)津軽産業会に改称し、大正五年(,)、弘前市西大工町に集会場「弘前倶楽部」を建設し、同三十三年(一九〇〇)には法人格を取得している(「津軽産業会沿革,集会場は堂々とした様式建造物で、実質的な「津軽産業会館」であった。,菊池楯衛の没後、大正九年(一九二〇)四月、旧津軽産業会のメンバーが中心となり、最勝院の境内に顕彰碑が建立
通史編4(近・現代1) (あけび蔓細工業の発達)

岩木山の山麓にある嶽温泉の土産物として製産したのが濫觴(らんしょう)であるといわれる(「産業諸説」『津軽産業会会報,(『津軽産業会会報』四) 写真88 あけび蔓製品の当時の広告  あけび蔓細工の改良すべき点
通史編4(近・現代1) (凶作と副業の奨励)

津軽産業会では常議員会を開催し、幹事長菊池楯衛の名で県知事、各郡市長に建議書を提出した。
通史編5(近・現代2) (りんご復興と澁川伝次郎)

このような自主的な農民組織の活動は、明治以来の津軽産業会の伝統を引き継ぐものと言える。
通史編4(近・現代1) (農会の設立と農事改良)

弘前市及び中津軽郡の物産品評会は津軽産業会が開催してきたが、「農産物の出品が期待通りの数には達しなかった
通史編4(近・現代1) (弘前商業会議所の活動)

なお、その後、事務所は津軽産業会館内へ移転し、さらに東長町に移った。
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