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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編5(近・現代2)
(弘前市の保健対策)
これにより同
津軽病院
は、弘前市国民健康保険直営の
津軽病院
として発足することになった。,
津軽病院
自体は昭和六年九月に有限責任購買利用組合津軽資生療院として市内富田に設立され、翌年土手町に移転,して
津軽病院
と改称している。,実質的に
津軽病院
は市民の病院としての利用が期待されていたのである。 ,ところが昭和四十四年一月三十一日、
津軽病院
は不運にも火災に遭い全焼してしまった。
通史編5(近・現代2)
(相次ぐ火災)
昭和二十四年四月十四日に
津軽病院
が全焼、死者七人、負傷者七人を出した。,昭和四十四年一月三十一日には県立弘前高校から出火、校舎一棟が全焼し、同日中に市立
津軽病院
も全焼している,とくに最後の県立弘前高校と市立
津軽病院
という公共施設が、同じ日に立て続けに火災に遭ったのは、弘前市では,弘前高校の場合は、水の便の悪さが大事を引き起こし、
津軽病院
も水圧が低く消火活動が思うにまかせず大事となった,写真238 市立
津軽病院
火災 戦前の大火がそうであったように、戦後の度重なる大火・小火が街並みを
通史編4(近・現代1)
(民次郎を継ぐ心)
その後、昭和五年(一九三〇)には弘前に産業組合津軽資生療院(七年に
津軽病院
と改称)をつくり、農民の指導者
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