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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (本村と新田)

『津軽郡中名字』には「圓(マリノ)澤」とすでに地名がみえているが、「津軽知行高之帳」には村名はみえず、,ちなみに「津軽知行高之帳」では、深浦村は鼻和郡に高三九一・九八石の村としてある。  ,ちなみに「津軽知行高之帳」では、柏木町村は平賀郡の新田として高四八九・二八石とある。  ,「津軽知行高之帳」では、松神村も大間越村も鼻和郡の新田として村名がみえ、高はそれぞれ三・一六石と一〇・
通史編2(近世1) (本村と新田)

正保二年(一六四五)の「津軽知行高之帳」(資料近世1No.一一六〇)によれば、津軽郡は三郡からなり、平賀郡一万九二六五石余,平賀郡新田高合計に占める割合 28.0% 鼻和郡新田高合計に占める割合 32.6% 注) 正保2年(1645)「津軽知行高之帳,しかし、「津軽知行高之帳」の村名記載を最後に、あとの時代の史料には村名がみえなくなるのである。,なお、参考として「津軽知行高之帳」にみえる弘前市域の古村名を表11に作成した。,平賀郡高合計に占める割合 29.1% 鼻和郡高合計に占める割合 32.5% 注) 正保2年(1645)「津軽知行高之帳
通史編2(近世1) (知行宛行状の発給)

下中川河原を中川村と仮定した場合、正保二年(一六四五)の「津軽知行高之帳」では同村は平賀郡の新田として,高四八六・七石とみえているので問題はないようであるが、戸沢村は「津軽知行高之帳」では田舎郡の新田として,しかし、同村は正保二年の「津軽知行高之帳」(同前No.一一六〇)によれば、高一二二・五石の村であり、五
資料編1(考古編) (3.野脇遺跡)

以後、中崎村が見える史料として、「陸奥国津軽郡之絵図」正保2年(1645)(県立郷土館)、「津軽知行高之帳,」正保2年、「津軽郡知行高辻帳目録」寛文4年(1664)などがあり、「津軽知行高之帳」及び「津軽郡知行高辻帳目録
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●正保二年(一六四五)十二月二十八日、津軽信義、江戸幕府へ陸奥国津軽郡之絵図と津軽知行高之帳を作成し、
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