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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(古代・中世) (津軽、「日本史」の舞台へ)

斉明天皇四年(六五八)から開始される阿倍比羅夫北征と呼ばれる事業の成功の背景には、こうした津軽蝦夷の早期,このように津軽蝦夷たちが、他に先駆けて大和政権に服属したのはなぜか。,すなわち大和政権と津軽蝦夷との間には、いわゆる朝貢関係が結ばれていたのである。,こうして両者の利害が一致して、七世紀中ごろには、津軽蝦夷の朝廷への服属が実現したのである。  ,(粛慎については後述)、これではなぜ津軽蝦夷が他に先駆けて朝貢したのかは説明できない。
通史編1(古代・中世) (有間浜の所在)

有間浜の所在 比羅夫は齶田平定後、さらに進んで、津軽蝦夷の拠点の一つである有間浜(ありまのはま)にまで,比羅夫は、かねて交流のある津軽蝦夷の仲介で、渡嶋蝦夷との接触に初めて成功し、そこで大いにもてなして帰順
通史編1(古代・中世) (斉明天皇四年の「北征」)

先に触れたように、すでに大和政権と友好関係を結んでいた津軽蝦夷をも動員し、彼らには背後から秋田地方の蝦夷,こうした動きを見て、米代川河口付近に拠点を持つ渟代(ぬしろ)蝦夷たちは早くに降伏したらしく、津軽蝦夷と,この授位で、津軽蝦夷の方が渟代蝦夷より冠位がはるかに高いのは、早くより大和政権に服属していたこと、あるいは,人名も津軽蝦夷の方が、和語に近いことが注目される。  
通史編1(古代・中世) (「津軽」の地の独自性)

写真25『古本風土記逸文』津軽蝦夷の記事  昔この地に、八人の「土知朱(つちぐも)」がいた。,土知朱は「津軽蝦夷」とはかって、狩猟用の剛弓(猪鹿弓)・剛矢(猪鹿矢)で攻めて官軍を悩ませたので、官軍
通史編1(古代・中世) (津軽への注目)

しかし逆に津軽蝦夷のなかにも三〇〇〇人の渡嶋の蝦夷とともに出羽国の官軍に味方する者があり、その勢力が「
通史編1(古代・中世) (斉明天皇五年の「北征」)

、比羅夫は船一艘と五色の綵帛(しみのきぬ)(染め分けた絹であるという)を提供して、蝦夷軍の主力となる津軽蝦夷
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