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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(三戸南部氏の津軽進出と大浦築城)
信時は、四男の達子弾正光康(たっこだんじょうみつやす)を外浜堤ヶ浦(現青森市堤町付近)に配置し「
津軽郡代
,三戸南部家が内部で動揺していた元亀二年(一五七一)五月、為信は三戸南部氏に反旗を翻し、石川城を奇襲して
津軽郡代
南部高信
通史編1(古代・中世)
(大浦氏の城下町建設の流れ)
その後、文亀二年(一五〇二)三戸南部安信(やすのぶ)は、弟の高信(たかのぶ)を
津軽郡代
とし、平賀郡石川城
通史編1(古代・中世)
(安藤愛季の津軽侵略)
愛季の津軽侵攻後、天正十年(一五八二)、三戸南部家継承を実現した信直は、弟政信を浪岡城に入部させて
津軽郡代
資料編1(古代・中世編)
(二 大浦城の歴史)
、その地位はあくまでも〝南部氏の目下の同盟者〟にとどまり、天文二年(一五三三)、津軽平定作戦の上、「
津軽郡代
通史編1(古代・中世)
(三戸南部氏による領国支配の強化)
明応七年(一四九八)、南部信時四男の光康(みつやす)が外浜堤ヶ浦(現在の青森市堤町付近)に入部し、「
津軽郡代
,写真192 『聞老遺事』津軽の弓矢 反乱鎮圧後、南部高信は
津軽郡代
となり、要衝石川の地(市内石川
資料編1(古代・中世編)
((2)戦国時代の「石川城(石川大仏ケ鼻城)」)
この城に「
津軽郡代
」として弟高信(子ともいう)を置き、津軽六郡を支配させたという。
資料編1(古代・中世編)
([十六世紀])
●天正十年(一五八二)、三戸城主南部信直、弟政信を波岡城に入部させ、
津軽郡代
にするという。
資料編1(古代・中世編)
(第一章 綱文・史料一覧)
「小介川光豊家蔵文書」 330 ●天正十年(一五八二)、三戸城主南部信直、弟政信を波岡城に入部させ、
津軽郡代
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