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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編1(古代・中世)
(県下の諸郡)
さて県下の地には当時の古文書類に記された地名から、津軽平賀郡・津軽田舎郡(津軽山辺(やまのべ)郡)・
津軽鼻和郡
,岩木川上流地域、津軽田舎郡は黒石市・南津軽郡尾上町・田舎館村付近、津軽山辺郡は黒石市・南津軽郡浪岡町付近、
津軽鼻和郡
通史編1(古代・中世)
(津軽曽我氏の所領・鼻和郡)
所領・鼻和郡 文和四年(一三五五)の「あへのうちめうあ(安倍氏妙阿か)譲状」(史料七一三)によって、
津軽鼻和郡
通史編1(古代・中世)
(安藤氏の所領)
すえ))に与えた正中二年(一三二五)九月十一日付の譲状(史料六二一)には、譲渡する諸職の内容として、
津軽鼻和郡
絹家島,具体的にそれらの地名を考えてみると、
津軽鼻和郡
内の「絹家島」と「片野辺郷」については現地比定が困難であるが
通史編1(古代・中世)
(安藤氏の没落)
その後、康季の子義季は享徳二年(一四五三)に
津軽鼻和郡
大浦郷根倉(ねくら)館に立て籠ったが、南部氏に攻
資料編1(古代・中世編)
(一 大浦城の立地と現状)
中世の当地域は、
津軽鼻和郡
大浦郷に属し、津軽平野西部の岩木山麓に位置することから「西根」とも称された。
資料編1(古代・中世編)
(一 東目屋地区の中世城館と領主の歴史)
近世の「関家文書」などに見えるもので、十五世紀半ばの文明年中(一四六九~八七)、南部氏の家人十二将が
津軽鼻和郡
通史編1(古代・中世)
(東目屋地域に見られる城館跡)
近世の「関家文書」などに見えるもので、一五世紀中葉の文明年中(一四六九~八七)、南部氏の家人十二将が
津軽鼻和郡
通史編1(古代・中世)
(渡嶋の所在)
というのは、中世になっても、津軽三郡ないし津軽四郡と称されて「津軽」の名を冠せられた地域は、
津軽鼻和郡
通史編1(古代・中世)
(北奥における建郡)
新郡の名前を見てみると、たとえば津軽平鹿郡は出羽国平鹿郡と、
津軽鼻和郡
は鹿角の花輪と、久慈郡は常陸国久慈郡
資料編1(古代・中世編)
([十五世紀])
●享徳二年(一四五三)、下国安藤義季、南部勢に攻められ、
津軽鼻和郡
大浦郷にて自殺。
資料編1(古代・中世編)
([十四世紀])
●文和四年(一三五五・南正平十)正月十九日、安倍妙阿、
津軽鼻和郡
はゝきの村の田在家を岩楯殿に譲る。
資料編1(古代・中世編)
(第一章 綱文・史料一覧)
…………………………… 鬼柳文書 215 ●文和四年(一三五五・南正平十)正月十九日、安倍妙阿、
津軽鼻和郡
,…………… 新羅之記録・松前家記 249 ●享徳二年(一四五三)、下国安藤義季、南部勢に攻められ、
津軽鼻和郡
大浦郷
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