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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編5(近・現代2) (岩木川開発と目屋ダムの建設)

ダムによる水力調節によって、農業に欠かせない用水の確保と、氾濫し続けてきた岩木川の洪水を防御することが,これまで目屋ダムは洪水被害の軽減、用水の確保に機能を発揮してきた。,津軽ダムは、洪水防止、流水の正常な機能の維持、灌漑用水の補給、水道用水、工業用水の供給、発電を目的とする
通史編3(近世2) (災害と生活)

江戸時代の利根川流域の大洪水は、寛保二年八月・天明六年(一七八六)七月・弘化三年(一八四六)六月の三回,寛保二年の洪水に対する藩の対応は左のようであった。,柳島屋敷の門前の土手が二、三ヵ所濁流で破れ、長屋が洪水で大破したので、被害を受けた藩士が移り住むことになった,国元へは、藩邸が洪水で被害を受けたことを連絡する飛脚が出発するのであるが、旅の苦しさが次のことから知られよう
通史編3(近世2) (塵芥捨場の設置)

七ヵ所のうち五ヵ所は川沿いであるが、川のわきは洪水の際に土砂の堆積か崩壊の危険がある場所で、畑地などに,このうち五ヵ所は川欠け(洪水などで川岸の土地が欠け崩れること)の場所か川沿いである。
通史編2(近世1) (為信の築城計画)

「津軽徧覧日記」の慶長十一年(一六〇六)の条に、正月下旬堀越城下が洪水に悩まされていた様子がみえる。,また、城跡内に洪水の痕跡(こんせき)がある程度確認されていることからも(『堀越城跡 前川災害復旧関連工事遺跡発掘調査報告書
通史編1(自然・原始) (夏)

雷は、日ざしの強い午後に発生し、局地性が強く宵のころ終わる場合が多いが、昼前や夜の雷は大雨洪水になることが,七月末の梅雨明け近いころ、県内を横断する梅雨前線の活動で大雨が降り、洪水害が発生する年がある。
通史編5(近・現代2) (岩木川改修運動)

そのために岩木川は戦後も何度か氾濫を起こし、附近に大洪水をもたらした。,岩木川の改修が本格的に効果を上げ、大洪水が一応収まったのは、高度成長期前後に計画された目屋ダムが完成してからである
通史編2(近世1) (堀越城の限界性)

また慶長十一年正月には、堀越川(平川)が大洪水を起こし、町屋まで浸水するという事件があった(同前No.,実際、堀越城跡の発掘調査では、平川の氾濫原に位置していたため、たびたび洪水に見舞われたと報告されている
通史編1(古代・中世) (田道伝説)

仁徳五十五年条に見える、蝦夷に敗れた上毛野君田道(かみつけののきみたみち)将軍の霊が、欽明天皇二十八年の洪水
通史編1(自然・原始) (秋)

特に台風による被害は大きく、大雨・洪水害や強風害があり、リンゴ等の多量の落果や家屋の倒壊、大きな海難事故
通史編1(自然・原始) (積雪)

多雪地帯の雪害には、降雪・積雪による交通障害、吹雪、雪崩、着雪、融雪・洪水、雪の重さによるものなどがある,そのうち、津軽地域で発生した融雪・洪水による災害例がある。,また、この日に中村川・岩木川流域でも水田埋没二五〇町歩などの融雪・洪水害が発生している。
通史編1(自然・原始) (夏)

)するが、梅雨明け(平年七月二十六日)近いころ、東北地方の北部に北上した梅雨前線の活動で大雨が降り、洪水害
通史編2(近世1) (近世中期の三人の藩主)

一七三一)に隠居した祖父信寿の跡を継いだ信著(のぶあき)(一七一九~一七四四)の代における藩政では、飢饉・洪水
通史編1(自然・原始) (春)

日も長くなったこのころ、雨が降ると雪解けが急速に進み、大きな洪水が発生することがある。
通史編2(近世1) (信義の襲封)

一方、水害は寛永十六年の下の切地方の洪水(同前No.六一〇・六一一)、慶安元年(一六四八)の三世寺(さんぜじ,)から下通りの洪水(同前No.六九九)が起こり、大凶作をも併発した。,承応二年(一六五三)には弘前城下が洪水で土手町の大橋が落ちている(同前No.七五一)。
通史編2(近世1) (天保四年の飢饉)

逆に六月には大雨となって洪水も発生し、さらに七月には「下り風」による暖気と湿気で害虫が大量に発生し、駆除
資料編3(近世編2) (2 本所の上屋敷)

元禄十五年(一七〇二)十二月二十五日の二度にわたって類焼しており、さらに、宝永元年(一七〇四)七月二日には洪水
通史編1(自然・原始) (第一節 注記)

(1)氾濫原…河川流域の低地において、洪水の浸水によって生じた緩やかな勾配の土地をいい、自然堤防・河道跡
通史編1(自然・原始) (カルデラ内の堆積物)

大雨が降ると、大量の土砂が流れ出し、勢いの強い流れは扇状地の表面をえぐったり、凹地を埋めながら新しい洪水堆積物
資料編1(古代・中世編) ((3) 津軽氏の政庁としての堀越城)

際の尾崎・板垣・三目内三将の反乱や、同七年の天藤騒動の際の乱入事件、さらに同十一年の堀越川(平川)大洪水
通史編1(自然・原始) (大雨・豪雨と災害)

青森県の大雨警報基準(洪水警報も同じ基準で、重大な災害が発生する恐れがある場合)でみると、    ●
通史編5(近・現代2) (岩木川の大氾濫)

岩木川の洪水による被害は、記録にあるだけでも百数十回に及んでいる。  
通史編2(近世1) (意見書提出の奨励)

四〇年に及ぶ信寧の治世は、洪水や地震、さらには飢饉といった天変地異に悩まされ続けた時代であったが、先述
通史編1(自然・原始) (海辺に堆積した火砕流)

その上には火砕流の堆積物である軽石凝灰岩や、火砕流として一度堆積した物が洪水などで流されて再び堆積してできる
通史編2(近世1) (安永期の蔵米化)

の蔵米化 宝暦八年(一七五八)に、乳井貢は失脚し、宝暦改革も頓挫するが、藩の財政はその後も度重なる洪水
通史編5(近・現代2) (度重なる大水害)

三日午前四時五分、青森地方気象台は「大雨洪水警報」を出した。
通史編1(古代・中世) (堀越城と城下町)

後世の伝承などでは、堀越城は前川の洪水にたびたび襲われ被害を受けていたことなどから、弘前城の城下町建設
通史編3(近世2) (三 八幡宮の祭礼と山車の運行)

雨天や洪水で順延になったり、凶作のため中止になることは当然としても、文化十四年(一八一七)、一〇代信順
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●慶長十一年(一六〇六)正月下旬、堀越城下、町方洪水により、材木流失するという。,●寛永十六年(一六三九)、この年、七月よりの大雨にて、下の切地方洪水となり、田地荒廃する。,●慶安元年(一六四八)正月十八日、領内大洪水により、三世寺村より下通り水深七八尺に及ぶという。,●承応二年(一六五三)、この年、弘前城下洪水にて土手町の大橋落ち、また千立〔達〕が渕に架橋する。
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