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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
(浄土宗)
浄土宗
浄土宗
は貞昌寺が僧録所で本末は図195のとおりであった。,図195.
浄土宗
本末関係図 信政は、宝永五年(一七〇八)に江戸浅草の熊谷(くまがい)稲荷を新寺町,元禄九年(一六九六)に「山崎専称寺並末寺由緒書」(資料近世2No.四〇六)、同十四年(一七〇一)に「
浄土宗
諸寺院縁起,出羽国大館の青蓮庵が金戒光明寺の末寺であったことと(遠藤聡明「宝永五年の弘前新寺町稲荷神社の勧請と別当
浄土宗
白狐寺 /
浄土宗
通史編3(近世2)
(徳増寺)
「
浄土宗
諸寺院縁起」は、承応二年(一六五三)、貞昌寺六世無角を開基としている。
通史編3(近世2)
(遍照寺)
「
浄土宗
諸寺院縁起」は、承応三年(一六五四)、貞昌寺六世無角が隠居所として創建したとする。
通史編3(近世2)
(西福寺)
「
浄土宗
諸寺院縁起」は、堀越城下に創建し、慶長年間(一五九六~一六一四)に弘前城下元寺町の貞昌寺門内に
通史編3(近世2)
(天徳寺)
「
浄土宗
諸寺院縁起」は、弘前城下形成により、大浦城下から元寺町へ移ったとする。
通史編1(古代・中世)
(二 北奥宗教界を彩る中世的寺社)
貞昌寺
浄土宗
岩城専称寺 永禄年間 (一五五八~七〇) 為信の生母 岌禎 大光寺 (平賀町) 新寺町,西福寺
浄土宗
貞昌寺 慶長(一五九六~ 一六一五)以前 不詳 不詳 堀越 (弘前市) 城下寺町,西光寺
浄土宗
貞昌寺 建仁年間 (一二〇一~〇四) 金光上人 中野 (浪岡町) 新寺町 当初、,徳増寺
浄土宗
貞昌寺 三世寺村 (弘前市) 新寺町 承応二年(一六五三)、貞昌寺六世無角上人,天徳寺
浄土宗
貞昌寺 弘治年中 (一五五五~五八) 光蓮社良心 田舎館村 慶長年間、城下寺町に
通史編3(近世2)
(白狐寺)
幕府・藩から新寺建立は禁止となっていたので、白狐寺は領内
浄土宗
が山崎専称寺を本寺としているのに属することができず
通史編1(古代・中世)
(一 中世寺院の建立)
この曹洞寺院に次いで多いのが、貞昌寺を中心とする
浄土宗
であり、その数は七ヶ寺に及ぶ。,この
浄土宗
寺院も曹洞寺院と同じく、やはり在地土豪の定住化のなかで営まれたものが多い。 ,その意味で、
浄土宗
七ヶ寺のなかでは、少し性格を異にするものとして注意される。,これらの浄土真宗寺院は、前記
浄土宗
の西光寺と、布教伝道の僧(開山)が建立の背景になっているという点では,個別に具体例を挙げると、
浄土宗
の場合、法然の高足、石垣金光上人の北方布教がある。
通史編3(近世2)
(誓願寺)
「
浄土宗
諸寺院縁起」は、信枚が慶長十四年、寺領三〇石を寄進したとするが、正徳元年(一七一一)の「寺社領分限帳
通史編3(近世2)
(貞昌寺)
「
浄土宗
諸寺院縁起」(同前No.四〇八)は、永禄三年(一五六〇)、為信の実母が死去した時、岌禎(きゅうてい
通史編3(近世2)
((一)寺社の開帳)
出開帳の宿寺としては、本所の回向院(えこういん)(
浄土宗
、東京都墨田区東両国)が最適の場所として繁昌した
通史編3(近世2)
((二)本末制と僧録制)
浄土宗
は増上寺、浄土真宗は築地本願寺・浅草別院、曹洞宗は関三刹の宗寧寺(下総)・大中寺(下総)・龍穏寺
資料編3(近世編2)
(【解説】)
ただ、
浄土宗
にあって本山専称寺へ提出された「山崎専称寺並末寺由緒書」と、地元に残された「
浄土宗
諸寺院縁起
通史編3(近世2)
(南溜池の成立)
津軽弘前城之絵図」南溜池部分 慶安二年(一六四九)五月の寺町大火によって、現在の元寺町にあった寺院、
浄土宗
五
通史編2(近世1)
(城下高岡の形成)
とその別当寺院の真言宗最勝院、熊野宮、および神職の住む禰宜町(ねぎまち)、伊勢大神宮(神明宮)、西には
浄土宗
,南西には長勝寺・耕春院をはじめとする曹洞宗寺院、東には浄土真宗(門徒宗)・天台宗・日蓮宗(法華宗)・
浄土宗
通史編4(近・現代1)
(出生の真実と仏苗学園)
祖母は同じ十三村の
浄土宗
湊迎寺の二四世工藤定巖和尚のもとへ愛蔵を引き取ってもらった。
通史編3(近世2)
(二代信枚)
浄土宗
西光寺(さいこうじ)、天徳寺(てんとくじ)、西福寺(さいふくじ)、徳増寺(とくぞうじ)は貞昌寺の
通史編1(古代・中世)
(藤崎城と中世都市)
真宗大谷派)」「心光寺」といったものをはじめ、下町には建保三年(一二一五)に金光上人が開基したとされる
浄土宗
摂取院
通史編3(近世2)
((二)富籤興行)
すでに、藩の財政は、為信の生母の菩提寺として寺領六〇石を寄進し、
浄土宗
僧録所にしている貞昌寺の再建ができず
通史編2(近世1)
(城下弘前の変化)
新寺町には寺町にあった天台宗・浄土真宗・日蓮宗・
浄土宗
の寺院が移転した。
通史編3(近世2)
(出開帳)
江戸の長松寺(ちょうしょうじ)(
浄土宗
、現東京都台東区)は、元禄十年(一六九七)六月、誓願寺において月
通史編1(古代・中世)
(四 中世津軽の宗教世界の特色)
さらに、
浄土宗
の西光寺も法然教団の北辺布教の流れでとらえるべきであり、やはり教団を背景にした弘通伝道であろう
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