• 機関トップ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧

弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

  1. トップページ
  2. 詳細検索

詳細検索


検索条件を追加
閉じる
検索結果 : 6件
辞書ファセット
/ 1ページ
通史編1(古代・中世) (津軽独立に向けて)

天正十一年(一五八三)、安藤愛季は由利郡に侵攻してきた庄内の大宝寺氏を出羽郡由利郡に破る一方で、比内の浅利勝頼,為信は、大宝寺氏の由利郡侵攻に際して秋田への出陣を求められていたようで(史料一〇四一)、さらには、浅利勝頼
通史編2(近世1) (中世の比内浅利氏)

は大浦為信・安東愛季・南部信直らとの間で一時的な均衡状態が保たれるが、天正九年(一五八一)、長岡城主浅利勝頼,この時、大浦為信は、浅利勝頼の子頼平を援助し、浅利氏遺臣をその家臣団に組み入れるとともに、仙北角館(かくのだて
通史編2(近世1) (浅利騒動と津軽氏)

36.津軽氏の浅利氏擁護を示す南部信直書状案  この文禄四年の戦闘において頼平が頼みとしたのは、浅利勝頼
通史編2(近世1) (浅利頼平の比内帰還)

浅利氏は数代安東氏の家臣であったが、親の愛季に対し逆心を企てたため浅利勝頼を成敗した。
資料編1(古代・中世編) ([十六世紀])

●天正十一年(一五八三)五月十九日、下国安東愛季、蠣崎慶広の功(比内扇田城主浅利勝頼〔義正〕謀殺)を賞
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

毛利伊豆家文書 332 ●天正十一年(一五八三)五月十九日、下国安東愛季、蠣崎慶広の功(比内扇田城主浅利勝頼
/ 1ページ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧
  • 機関トップ
  • 利用規定
  • 利用ガイド
  • サイトマップ
  • ADEACトップ
X(旧Twitter) facebook line urlcopy
トップへ
ページURLがコピーされました