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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(浅利頼平の怪死)
浅利頼平
の怪死
浅利頼平
は一度下された裁定に不満を持ち、さらに有利な裁定を勝ち取ろうと企てていた。,ところが
浅利頼平
は、翌慶長三年正月八日、突然怪死する。 /
浅利頼平
の怪死
通史編2(近世1)
(浅利頼平の比内帰還)
浅利頼平
の比内帰還 翌天正十八年(一五九〇)、津軽での独立化を図る大浦為信は、安東実季・九戸政実と結,
浅利頼平
は、その成敗された勝頼のいとこである。,
浅利頼平
は、この比内帰還後の天正十九年(一五九一)七月七日、早速独鈷村の肝入役(きもいりやく)として越山作内 /
浅利頼平
の比内帰還
通史編2(近世1)
(二 浅利騒動への加担)
加担 浅利騒動(あさりそうどう)とは、大名秋田実季と、その領主権力から独立を果たそうとする比内郡の
浅利頼平
通史編2(近世1)
(伏見木幡山城の築城)
折しもこの慶長二年から三年にかけては、出羽国比内(ひない)郡の領有をめぐって紛争の最中であった比内の
浅利頼平
通史編2(近世1)
(浅利騒動の停戦命令)
(1)実季は
浅利頼平
を再度家臣として召し抱えること。
通史編2(近世1)
(伏見作事板の運上と太閤蔵入地)
慶長三年は、浅利騒動の裁定のため津軽氏が庇護していた
浅利頼平
と秋田氏が伏見にやって来ており、このような
資料編1(古代・中世編)
([十六世紀])
●天正十二~十五年(一五八四~八七)、
浅利頼平
、大浦為信の援助を受け、しばしば比内に侵攻するも成功せずという,秋田勢の比内攻撃は天正十八年、相手は浅利氏でなく南部氏で、従来誤り伝えられていたもの) ●大浦為信、
浅利頼平
通史編2(近世1)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
歴史』110頁 1987年 河出書房新社刊 34 小浜市 羽賀寺蔵 能代市史編さん室写真提供 35
浅利頼平
領内村数覚書写
資料編2(近世編1)
(編年史料 (天正十七年~明暦二年))
●天正十八年(一五九〇)、この頃、大浦氏に扶養されていた
浅利頼平
、秋田氏の比内回復後、同地へ復帰する。,●慶長三年(一五九八)八月二十六日、津軽信建、秋田実季へ書状を遣し、
浅利頼平
の身上につき、津軽氏の無関係
資料編1(古代・中世編)
(第一章 綱文・史料一覧)
………………………… 南部家文書 335 ●天正十二~十五年(一五八四~八七)、
浅利頼平
、大浦為信の援助,南部氏で、従来誤り伝えられていたもの) … 津軽一統志・永禄日記・封内事実秘苑 354 ●大浦為信、
浅利頼平
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