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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(二 浅利騒動への加担)
二
浅利騒動
への加担
浅利騒動
(あさりそうどう)とは、大名秋田実季と、その領主権力から独立を果たそうとする,しかし、この
浅利騒動
は、単に一地方の大名領内の問題に終わらず、豊臣政権を構成する奉行や有力大名のほか、 / 二
浅利騒動
への加担
通史編2(近世1)
(浅利騒動と津軽氏)
浅利騒動
と津軽氏 文禄三年、秋田方は比内の浅利領へ兵を進め、物成の差し押さえを行い、さらに岩脇村(いわわきむら,これがいわゆる
浅利騒動
である。,ところがこの八月と決定した秋田氏と南部氏との祝言は、前年から起こっていた
浅利騒動
によって延期を重ね、翌文禄五年,南部信直から独立を果たす際に秋田実季と講和し、実季が比内から南部勢を排除する際に支援していたが、この
浅利騒動
/
浅利騒動
と津軽氏
通史編2(近世1)
(浅利騒動の停戦命令)
浅利騒動
の停戦命令 慶長元年(一五九六)二月十六日、浅利氏と秋田氏が比内で対峙(たいじ)していた時、,これは
浅利騒動
の件を聞いた秀吉が、騒動に関する調査と処断を行うと決定したからであった。,の家臣佐々正孝に対して、秋田氏と浅利氏の紛争の停戦を命じるよう指示を出しており、この停戦命令によって
浅利騒動
,この伏見において、
浅利騒動
は次のような裁定が下された。,(4)
浅利騒動
が起こってから新たに築城した城を破却すること。 /
浅利騒動
の停戦命令
通史編2(近世1)
(豊臣政権の奉行衆)
しかし、翌文禄二年には秀吉の奉行として中央集権化を目指す集権派グループの長束正家や、
浅利騒動
において秋田氏
通史編2(近世1)
(浅利頼平の怪死)
りかかる危機を回避するため、阿部伊予守を介して徳川家康に慶長四年閏三月二十七日の申状(秋田家文書)で、
浅利騒動
通史編2(近世1)
(伏見作事板の運上と太閤蔵入地)
として編成されることを拒否したとも、また、この時期津軽氏が庇護していた比内の浅利氏と秋田実季との間に
浅利騒動
,慶長三年は、
浅利騒動
の裁定のため津軽氏が庇護していた浅利頼平と秋田氏が伏見にやって来ており、このような
通史編2(近世1)
(伏見滞在と派閥抗争)
また長束正家は、この伏見作事板の朱印状の取次だけではなく、文禄三年以降の浅利氏と秋田氏との抗争である
浅利騒動
,伏見作事板の朱印状が、すなわち比内の浅利領を含む秋田領の領有権を保障するものであり、長束正家としては、
浅利騒動
通史編2(近世1)
(新編弘前市史 通史編2(近世1) 目次)
……………… 80 一 伏見杉板の賦課 ……………………………………………… 80 二
浅利騒動
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