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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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資料編1(考古編) (5.浅瀬石川玄武岩Ⅷ)(あせいしがわげんぶがん))

5.浅瀬石川玄武岩Ⅷ)(あせいしがわげんぶがん) 村岡・長谷(1990)の命名による。,模式地は、黒石市板留(いたどめ)南方の浅瀬石川沿い。,黒石市南中野から一ノ渡までの浅瀬石川西岸に分布する。岩相は、緑色変質し暗緑色を呈する玄武岩から成る。 / 5.浅瀬石川玄武岩Ⅷ)(あせいしがわげんぶがん)
通史編1(自然・原始) (平野南縁の地形区分)

南縁部の主要河川として、十和田湖の外輪山を源とする浅瀬石川と白神山地に隣接する大鰐山地を源とする平川があげられる,なお、浅瀬石川北方には十川が流れている。,図20 津軽平野南縁における水系と等高線図  黒石市は浅瀬石川北岸に発達する開析された扇状地(9,平野南縁の地形は、平川および浅瀬石川流域に発達した複合扇状地であって、尾上付近がその接合部にあたると考,もし浅瀬石川の下刻作用がなければ、尾上町の舌状台地の等高線にほぼ連続するものと思われる。
通史編1(自然・原始) (駒木浮石流凝灰岩)

図19に示したが、井戸沢や沖浦など浅瀬石川流域においても、火砕流堆積物が丘陵前縁にあって、基盤に張りつくように,平川および浅瀬石川流域にみられる火砕流堆積物を駒木浮石流凝灰岩と呼称し、大不動浮石流凝灰岩に対比される,図19 浅瀬石川流域での火砕流堆積物の確認地点(5万分の1津軽地域広域市町村圏図〈国土地理院承認番号 ,平元、東複第8号〉を使用)  写真32は浅瀬石川ダム東岸の沖浦橋付近に分布する軽石質砂岩であるが,写真32 浅瀬石川ダム湖岸に分布する沖浦軽石質砂岩  浅瀬石川支流の中野川においても火砕流堆積物
通史編1(自然・原始) (谷底平野)

谷底平野 浅瀬石川および平川流域内には砂礫を主体とする谷底平野が分布している。,浅瀬石川の、黒石市境松に位置するバイオ技術センター(約二八メートル)では、地表下約五五メートルまで暗青灰色
資料編1(考古編) (29.下山形礫層Ⅵ)(しもやまがたれきそう))

模式地は、黒石市下山形付近の浅瀬石川北岸の中位段丘崖。,上位の浅井火山灰ともに、浅瀬石川流域での中位段丘を構成している。
資料編1(考古編) (2.青荷層Ⅲ)(あおにそう))

模式地は、黒石市浅瀬石川(あせいしがわ)支流の青荷川流域。浅瀬石川東方の丘陵地一帯に広く分布する。
資料編1(考古編) (41.遠手沢層(とおてざわそう))

模式地周辺及び浅瀬石川左岸に分布する。岩相は、砂岩及びシルト岩から成る。,村岡・長谷(1990)では模式地における本層が大釈迦層に、浅瀬石川左岸に分布するものは六萬平層に対比している
資料編1(考古編) (8.板留層Ⅷ)(いたどめそう))

模式地は、黒石市板留南縁から沖浦に至る浅瀬石川沿い。,浅瀬石川沿いの、板留南方から虹ノ湖周辺にかけて広く分布する。
通史編1(自然・原始) (三 津軽平野南部の地形発達)

総じて、平川、浅瀬石川および大和沢川の各流域には、山地および丘陵から供給された砂礫を主体とした膨大な扇状地性,すでに、浅瀬石川や平川流域では黒石面と平賀面、大和沢川流域では松原面と城東面が山地から供給された膨大な,そして、浅瀬石川および平川を流下してきた約三万年前の火砕流堆積物(駒木浮石流凝灰岩)の流下によって扇状地性,この結果、浅瀬石川流域や平川-引座川間では開析された扇状地が断片的な分布を示し、平川流域では六羽川および,この火砕流は平川および浅瀬石川流域内に比高二〇~三〇メートルの火砕流台地を形成するほどで、その供給量は
通史編1(自然・原始) (平賀面)

一方、浅瀬石川以北にあっては黒石面の前縁部に幅約一キロメートルの帯状の分布を示し、田舎館村東光寺・前田屋敷,六羽川以東では二五~五五メートル、浅瀬石川以北では標高二五~三五メートルで、面の勾配はおよそ一〇〇〇分,浅瀬石川以北の平賀面に位置する、黒石市の運動公園⑥(三三メートル)および田舎館村東光寺⑦(二七メートル,各火砕流堆積物底部の勾配をみると、いずれも尾上および平賀付近で一〇〇〇分の四~五と平野部に緩やかに傾斜するが、浅瀬石川以北,かつて扇状地面上を平川や浅瀬石川、そして引座川などが網状に流れていたものであって、平川や浅瀬石川ではクロスラミナ
通史編1(古代・中世) (一 十三湊と津軽)

津軽平野部を流れる岩木川(いわきがわ)をはじめ平川(ひらかわ)・浅瀬石川(あせいしがわ)・十川(とがわ
資料編1(考古編) (7.井戸沢礫層Ⅵ)(いどざわれきそう))

浅瀬石川上流左岸の琵琶ノ平付近では、青荷層の上位にほぼ水平な不整合*20面をもって載っている。
資料編1(考古編) (21.貝吹山デイサイトⅧ)(かいふきやまでいさいと))

黒石市落合から虹ノ湖にかけての浅瀬石川西岸及び中野川北岸に分布する。斑晶が少なくガラス質である。
通史編1(自然・原始) (田舎館面)

田舎館面 浅瀬石川南岸および平川流域内に帯状の自然堤防として分布している。,高度は浅瀬石川流域において、黒石市浅瀬石付近で五〇~六〇メートル、下流側の田舎館村大根子(おおねこ)や
通史編1(自然・原始) (黒石面)

黒石面 黒石面には、黒石市街地のほぼ全域および浅瀬石川南岸の高賀野(こがの)、尾上町金屋(かなや)・,黒石面は、浅瀬石川流域では黒石市石名坂付近を扇頂部とする五~五・五キロメートルの弧状の分布を示し、尾上付近,後述のボーリング資料などから、黒石市と尾上付近に分布する黒石面はおそらく連続する面であったと考えられ、浅瀬石川,なお、扇頂部の石名坂付近では上位の花巻面と五~一〇メートルの段丘崖で接するが、浅瀬石川の河床面とは約一
通史編1(自然・原始) (石棺墓)

さきの再葬土器棺墓と同じく、後期中葉の十腰内Ⅰ群(式)土器に多く、なかでも津軽地方の浅瀬石川と平川流域
通史編5(近・現代2) (上水道設備の向上)

弘前市周辺地区では、なんといっても岩木川・浅瀬石川水系が水源となる以上、両河岸地域の協力が必要である。,昭和四十九年(一九七四)三月十四日、弘前市では、それまで岩木川本川だけに頼っていた水源を、いま一つ別に浅瀬石川,その後、浅瀬石ダム(のち浅瀬石川ダムと改称)の完成をまち、昭和六十三年十一月一日から給水が開始された。
通史編1(自然・原始) (地下水系)

平賀町北部から田舎館村・常盤村・浪岡町付近ではアルカリ泉であり、地表水系の浅瀬石川水系にオーバーラップ
通史編1(自然・原始) (黒石逆断層系)

この変位量と浅瀬石川扇状地堆積物の層厚の変化が調和的であることから、この断層の活動は更新世後期まで継続
資料編1(考古編) (3.浅井火山灰Ⅵ)(あさいかざんばい))

浅井付近での火山灰流凝灰岩は、浅瀬石川と平川の三角形の地域一帯に分布し、浅井北方の金屋付近などでは再堆積
資料編1(考古編) (38.田代平溶結凝灰岩Ⅳ)(たしろたいようけつぎょうかいがん))

浅瀬石川上流の葛川付近では、最大層厚60m以上。  
資料編1(考古編) (1.青荷凝灰岩Ⅷ)(あおにぎょうかいがん))

カルデラ内青荷凝灰岩は、黒石市浅瀬石川あせいしがわ支流の青荷川及び二庄内川沿いを模式地とし、地形的沖浦
通史編1(自然・原始) (花巻面)

標高一〇五~一一五メートルの、浅瀬石川への緩い傾斜面で、浅瀬石川に沿って最大幅五〇〇メートルの帯状の分布
通史編1(自然・原始) (地形の概説)

藤崎以南の弘前盆地では浅瀬石川や平川などの流域に扇状地が形成され、台地状に発達している。
通史編5(近・現代2) (上水道整備の方向)

第四期拡張事業の主要事業は、浅瀬石川ダムを水源として水道用水を供給する津軽広域水道企業団から、平成七年度
通史編3(近世2) (曹洞宗)

現西津軽郡鰺ヶ沢町)を創建したといわれ、三ッ目内(現南津軽郡大鰐町)に創建の金竜寺もこの派に属し、平川・浅瀬石川流域
通史編1(自然・原始) (境関面)

浅瀬石川流域に分布する常盤面に相当するが、平川以西ではその分布が小さく、部分的に土淵川流域内に認められる
資料編1(古代・中世編) (二 青森県の板碑分布)

その第一は岩木川と平川の合流点、藤崎町藤崎と弘前市三世寺を北限とする平川・浅瀬石川の流域、黒石~大鰐を,板碑は、津軽地方内陸部のうちでも平川・岩木川流域に多く、浅瀬石川流域以北の常盤村・黒石市北部・浪岡町からは
資料編1(考古編) ([口絵])

十和田火山起源の火砕流凝灰岩は、少なくとも2万8,000年前と1万3,000年前の2回にわたって平川及び浅瀬石川流域,〔黒石市の高清水山から望む〕 浅瀬石川を挟んだ対岸の平賀丘陵地は、主にカルデラ外青荷凝灰岩、六萬平層
通史編5(近・現代2) (上下水道の整備状況)

の水道用水は、岩木川等からの取水と市内四ヵ所の簡易水道により給水している一方、昭和六十三年十一月から浅瀬石川
資料編1(古代・中世編) (〈凡例〉)

内陸部については、弘前市内の板碑を第一に挙げ、次いで平川中流域の町村、岩木山東麓岩木町、平川・浅瀬石川合流点
通史編1(自然・原始) (常盤面)

図21に示したが、浅瀬石川流域から南側の尾上町の舌状台地にかけてと、平川流域から東側の六羽川にかけて分布
通史編1(自然・原始) (掘さくの深度)

の存在は、二〇〇メートル以上の層厚で分布する平川扇状地堆積物および三五〇メートル以上の層厚で分布する浅瀬石川扇状地性堆積物等
通史編1(古代・中世) (平安時代の大規模集落)

九世紀前半では、浅瀬石川水系の尾上町李平下安原(すもだいしもやすはら)遺跡や黒石市浅瀬石遺跡が挙げられるほか
通史編2(近世1) (大浦城の構造)

太閤蔵入地が岩木川・平川・浅瀬石川の三つの河川の分岐点を中心とする津軽平野中心部一帯に設定されたと推定
通史編2(近世1) (堀越城の限界性)

堀越城は、岩木川東岸で浅瀬石川・平川に囲まれた地帯へ津軽氏が進出する拠点として、政治的・経済的な側面に
通史編4(近・現代1) (道路改修問題と佐和知事)

河川工事では岩木川、平川、浅瀬石川は全額県費、大和沢川、大峰川、栩内川、相馬川が半額補助だった。  
通史編1(自然・原始) (地形の発達史)

平野最奥の弘前盆地では、平川および浅瀬石川などの河川から供給された多量の砂礫により扇状地が形成され、また
通史編2(近世1) (堀越城への移転)

太閤蔵入地は、岩木川・平川・浅瀬石川の三つの河川を分岐点とする津軽平野中心部一帯に設定され、為信はその
通史編5(近・現代2) (度重なる大水害)

昭和五十年(一九七五)八月二十日、台風五号が襲来し、浅瀬石川、土淵川を含む岩木川周辺の河川が氾濫している
通史編2(近世1) (岩木川舟運)

支流には平川(ひらかわ)・浅瀬石川(あせいしかわ)・十川(とがわ)などがあり、平川との合流地点以北では
通史編5(近・現代2) (相次ぐ水害と商店街)

この水害は、台風五号くずれの低気圧によるもので、青森県内では土淵川のほか、平川、浅瀬石川が氾濫し、弘前市
通史編5(近・現代2) (知事・市長への陳情)

この時の話題は改めて出したもので、東北新幹線の建設問題、浅瀬石川ダム建設について、沖浦ダムの浚渫(しゅんせつ
通史編1(自然・原始) (古懸浮石流凝灰岩)

y.B.P N 40°33.1' E140°40.8' 浅瀬石川,#160;40°34'17” E140°41'26” 黒石市沖浦(浅瀬石川
通史編2(近世1) (太閤蔵入地の設定)

これに倣(なら)うと、農業生産がかなり発達していた、岩木川・平川・浅瀬石川の三つの河川の分岐点を中心とする
通史編5(近・現代2) (福士市政の財政)

②津軽ダム建設  六十三年十一月、浅瀬石川ダムから水道用用水の供給が始まったが、それに引き続き岩木川上流
通史編2(近世1) (災害の続発とその影響)

#160;3日 風害 西海岸 破船・難船多数  7月 8日 水害 弘前城下など岩木川・浅瀬石川
通史編3(近世2) ((二)相撲興行)

元禄十二年(一六九九)に葛西太左衛門・成田無仁左衛門から、弘前・鰺ヶ沢・浅瀬石川原の三ヵ所での相撲興行
通史編1(自然・原始) (二 浅部の地質)

扇状地堆積物は、大和沢川・平川・浅瀬石川の扇状地地形が認められる地域の下流側の地下に分布する。
資料編1(考古編) (新編 弘前市史 資料編1-1 考古編 目次)

          3.浅井火山灰          4.阿闍羅山安山岩          5.浅瀬石川玄武岩
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