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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編1(古代・中世)
(浪岡城攻略)
浪岡城
攻略 天正六年(一五七八)七月、為信は浪岡御所を攻略し、浪岡御所北畠顕村(具愛)(あきむら(ともちか /
浪岡城
攻略
資料編1(考古編)
(〈注一覧…第4章〉)
6) 奈良仁 「中世の下北地方と蛎崎氏」(考古風土記創刊号) 1976年 7) 奈良岡洋一 「史跡
浪岡城
跡,黒石市高館遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書第40集) 1978年 13) 浪岡町教育委員会 『昭和52年度
浪岡城
跡発掘調査報告書
浪岡城
跡,
浪岡城
跡Ⅲ』 1981年 25) 八戸市教育委員会 『史跡根城跡発掘調査報告書Ⅲ(昭和55年)』(,
浪岡城
跡Ⅴ』 1983年 36) 中村和彦 「青森市油川城跡から出土した中世資料」(考古風土記第9,号) 1984年 37) 浪岡町教育委員会 『昭和57年度
浪岡城
跡発掘調査報告書
浪岡城
跡Ⅵ』 1984
資料編1(考古編)
(7.陶磁器の組成)
青森県内遺跡出土陶磁器数(破片により集計) 中崎館 荼毘館 境関館 独狐 遺跡 堀越城 尻八館
浪岡城
,内館
浪岡城
北館 根城 浜通 遺跡 青磁 12 12 220 4 2 56 1833 1883,0 8 0 8 407 464 22 39 かわらけ 160 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ※
浪岡城
,
浪岡城
内館も、舶載陶磁器を60%の比率で出土し尻八館と同様であるが、染付の比率は
浪岡城
内館が多くなる。,その傾向は
浪岡城
北館でも同様であり、白磁と珠洲の比率が低くなる以外構成は類似している。
資料編1(考古編)
(第7節 出土遺物と生活)
中世に入ると、
浪岡城
や根城では、五鈷杵・銅椀・高台・仏像・香炉・鉦・鈴・数珠・塔婆・柿経といった例があり,浪岡町
浪岡城
跡北館出土人骨は土壙埋葬であり、女性骨で瓦質土器の出土から16世紀頃と推定される。,陶磁器の底に文字・記号を書いた例と、漆器の底や側面に文字の書かれた例は、
浪岡城
跡に多いものの「大」「二,図23 陶磁器に書かれた文字(
浪岡城
跡出土資料) 木製品に墨書で書かれた例は、
浪岡城
跡において,図24
浪岡城
出土墨書例
資料編1(考古編)
(5.16世紀の様相)
16世紀の代表的な遺跡としては、浪岡町
浪岡城
跡、八戸市根城跡、北海道上ノ国町勝山館があり、ほぼこの三遺跡,
浪岡城
跡はその継続年代が長いものの、16世紀の資料が青森県内で最も多く出土している。,図11
浪岡城
跡出土陶磁器実測図(1) 青磁・白磁 図12
浪岡城
跡出土陶磁器実測図(2)
資料編1(考古編)
(-中世Ⅰ期(12世紀代)-)
中崎館遺跡・内真部遺跡・蓬田大館遺跡・
浪岡城
内館跡・独狐遺跡・十三湊遺跡等であり、そのほとんどは津軽地方,このうち、中崎館・内真部・蓬田大館・
浪岡城
内館・矢立廃寺においては、大小2種類で、2技法をもった在地及
資料編1(考古編)
(第6節 金属製品)
金属器の出土の特色は、数の多さと特異な出土状況にあり、素材鉄(鉄鋌(てい))の出土も顕著で、境関館・
浪岡城
,例えば
浪岡城
内館SP12では、鉄製品(鍬・鎌・刀・苧引金・轡・釘)を埋納した上に内耳の鉄鍋をかぶせて埋,9,300m2 316 0.034 尻八館 780m2 70 0.089
浪岡城
跡,SP12と出土遺物 図20
浪岡城
跡内館SP12の出土遺物 このように、16世紀を主体,とする
浪岡城
と福井市一乗谷朝倉氏遺跡の比較では
浪岡城
が3倍近くの出土率を示し、単純な面積比では北の遺跡
資料編1(考古編)
(1.12世紀の様相)
世紀代と考えられるものは認められず、少なくとも12世紀代と想定される製品に、蓬田大館遺跡・高館遺跡・
浪岡城
内館,、蓬田大館遺跡では中国製の青磁・白磁碗と渥美と推定される甕及びかわらけ、高館遺跡では中国製白磁小皿、
浪岡城
内館
資料編1(考古編)
((1)東北地方南部以南との交易・交流)
また、津軽平野や外ケ浜に展開する
浪岡城
内館遺跡(浪岡町)や境関館遺跡(弘前市)、あるいは内真部遺跡(青森市,この時期の搬入品としては、「京都系かわらけ」(中崎館・
浪岡城
内館・蓬田大館・内真部)、常滑・渥美系の瓷器系陶器,(蓬田大館・中崎館・
浪岡城
)、珠洲等の須恵器系陶器(境関館・
浪岡城
・蓬田大館・中崎館・源常平)などがある,一方、中国製磁器は白磁の碗・皿類(蓬田大館・
浪岡城
・境関館・十三湊・内真部・中崎館)、四耳壺(
浪岡城
内館
通史編1(古代・中世)
(安藤愛季の津軽侵略)
また、
浪岡城
陥落後、顕村の従兄弟である北畠弾正・右近慶好(のりよし)(のちに「季」字拝領により季慶と改名,翌年にも愛季は津軽に出陣するが、ついに
浪岡城
の回復は成功できなかった。 ,愛季の津軽侵攻後、天正十年(一五八二)、三戸南部家継承を実現した信直は、弟政信を
浪岡城
に入部させて津軽郡代
資料編1(考古編)
(〈地域的な差〉)
16世紀に入る
浪岡城
や根城の調査によって知られるとおり、遺跡の性格のみならず遺跡における住人形態の相違,図3 根城本丸から検出された竪穴建物跡と出土遺物
浪岡城
跡北館(図4参照)では、拙稿*38による,図4
浪岡城
北館16世紀前半の景観復元図(高島成侑原図)
通史編1(古代・中世)
(一六世紀の湊)
油川城跡では、
浪岡城
跡で出土したもの(写真171)と同類の棹秤(さおばかり)の錘(おもり)など、城館ながら,そして、これまでの発掘調査によって出土している遺物からみて、
浪岡城
跡は一六世紀を代表する遺跡といえ、ここからは,写真171
浪岡城
跡出土棹秤の錘 ただし、北日本全域では北海道上ノ国(かみのくに)町の勝山(かつやま
通史編3(近世2)
(京徳寺)
「曹洞諸寺院縁起志」は創建を享禄二年とし、智證大師作の正(しょう)観音を、
浪岡城
主北畠具永が信仰し、寺号
通史編1(古代・中世)
(非かわらけ地域)
(m2) 国外陶磁 国内陶磁 かわらけ 計 1m2当り (全体) 1m2当り (陶磁器だけ)
浪岡城
内館,これに対し、
浪岡城
跡(写真172)は内館という城主が居住した空間と推定される場所であるにもかかわらず、,写真172
浪岡城
跡航空写真 かわらけは素焼きの器であり、使用に当たっては儀礼的、つまり宴会などにおける
通史編1(古代・中世)
(四耳壺の出土)
津軽地域へ搬入された四耳壺をみると、白磁四耳壺は
浪岡城
跡内館、瀬戸四耳壺は市浦村・伝山王坊遺跡、珠洲四耳壺,このうち、一定量のかわらけとともに出土するのは
浪岡城
跡内館と中崎館遺跡だけであり、酒宴の器と見なすことができる,図33 津軽地域出土の四耳壺と経容器 1 白磁四耳壺(
浪岡城
内館) 2 瀬戸四耳壺(伝山王坊) 3
資料編1(考古編)
(4.15世紀の様相)
図13
浪岡城
跡出土瓦質土器 主要な遺跡としては、市浦村十三湊遺跡・伝山王坊跡・檀林寺跡・二ツ,小泊村弁天島遺跡、今別町大開城跡、中里町中里城跡、青森市尻八館遺跡・油川城跡、蓬田村蓬田大館遺跡、浪岡町
浪岡城
跡
通史編1(古代・中世)
(かわらけと陶磁器)
たとえば、
浪岡城
跡内館(うちだて)と中崎館遺跡の出土遺物を比較すると、前者は四耳壺(しじこ)の主体が白磁,つまり、
浪岡城
跡内館の陶磁器の組み合わせとかわらけの法量は、平泉遺跡群における一二世紀後半の遺物群に類似,し、中崎館遺跡の場合は少なくとも
浪岡城
跡内館以後の遺物群と考えられ、一三世紀前半を主体とした遺物群の可能性
通史編1(古代・中世)
([口絵])
21 田向冷水遺跡(八戸市) 22 山元(1)遺跡(浪岡町) 23
浪岡城
跡
通史編1(古代・中世)
(住の道具)
ただ、最近まで民俗事例として残っていた松ヤニなどの油を燃やす「シデバチ」といわれる石製の鉢は境関館や
浪岡城
,井戸の作事をみると、中崎館のように曲物を井筒として使用したり(写真174)、
浪岡城
では隅柱にほぞ穴を穿
資料編1(考古編)
(2.13世紀の様相)
破片としては
浪岡城
跡や根城跡、境関館跡、大光寺城跡から瀬戸瓶子や青磁鎬蓮弁文碗・梅瓶、白磁口禿碗・皿などが
資料編1(考古編)
(資料編1「考古編」掲載図・表・写真一覧)
掘立柱建物跡の分類 図2 竪穴建物跡の分類 図3 根城本丸から検出された竪穴建物跡と出土遺物 図4
浪岡城
北館,(1)青磁・白磁 図12
浪岡城
跡出土陶磁器実測図(2) 図13
浪岡城
跡出土瓦質土器 図14 ,図16 陶磁器の構成比率 図17 舶載陶磁器の出土比率 図18 国産陶磁器の出土比率 図19
浪岡城
跡内館,SP12と出土遺物 図20
浪岡城
跡内館SP12と出土遺物 図21 青森県内埋納銭出土遺跡分布図,図22
浪岡城
跡出土埋納銭 図23 陶磁器に書かれた文字 図24
浪岡城
出土墨書例 表1 青森県中世
資料編1(考古編)
((2)文字資料と文字文化)
18 「〓」 山本遺跡 〃 徳才子字山本 〃 (3H) 〃 10世紀前半 19 「〓」
浪岡城
跡,須恵器坏 10世紀前半 13 〓 大沼遺跡 南津軽郡浪岡町川倉字大沼袋 〃 土師器坏 〃 14 〓
浪岡城
跡,徳才子字山本 〃 〃 〃 16 井 〃 〃 〃 〃 須恵器長頸壺 〃 17 〓
浪岡城
跡,須恵器壺 〃 24 〓 杢沢遺跡 西津軽郡鰺ヶ沢町湯舟字若山 製鉄遺跡 須恵器甕 〃 25 春
浪岡城
跡
通史編1(古代・中世)
(陶磁器と地域社会)
浪岡城
跡や中里城跡で出土した破砕陶磁器は、一定の場所に粉々に砕いた陶磁器片を撒くような状態で廃棄しているのである
通史編1(古代・中世)
(三 中世の道具と生産)
図50 境関館出土の鉄鋌(左) 写真173
浪岡城
の鉄鋌(右) このような鉄生産にかかわる事例
通史編1(古代・中世)
(地方色を顕す古代の津軽地方)
一二世紀中葉から後半の遺跡の大半は津軽地方に集中し、弘前市境関館遺跡・
浪岡城
内館跡・青森市内真部(うちまっぺ
通史編1(古代・中世)
(北日本の地域差)
北日本の地域差 ただ同じ北日本であっても勝山館と
浪岡城
を比較した場合、陶磁器などの共通性とともに一次生産用具
資料編1(考古編)
(第3節 中世・近世の住居と集落)
ヶ沢町 15,16 掘立・竪穴 城館 25 源常平遺跡 浪岡町 13,16 掘立・竪穴 城館 26
浪岡城
跡
資料編1(考古編)
((4)12世紀代)
この時代の本県の遺跡は、青森市内真部(うちまっぺ)遺跡、弘前市境関館遺跡、
浪岡城
内館跡、市浦村十三湊遺跡
資料編1(考古編)
(第2節 中世・近世の考古学研究略史)
時期を同じくして、史跡整備のため浪岡町の
浪岡城
*12と八戸市の根城*13が本格的発掘調査体制に入り、城館,56年1月に北上市で行われた『東北北部の中世城郭発表会』で、岩本義雄が「尻八館」について、工藤清泰が「
浪岡城
,
浪岡城
・根城の調査が従前どおり継続されたのはもちろんのこと、各市町村でも中世関係の報告書が刊行されるようになった
通史編1(古代・中世)
(食の道具)
最近
浪岡城
の遺物を再検討していたら漆ベラが三点ほど発見され、城内に塗師が存在したことは確実となった。
通史編3(近世2)
(藩政前期為信)
この統一過程にあって、天正六年、
浪岡城
攻略の時は間者に浪岡の浄土真宗玄徳寺(げんとくじ)の休西坊を用い
通史編1(古代・中世)
(湊安藤氏の誕生)
室町幕府の北方政策は、先にみたように下国・湊の両安藤氏をそれぞれ京都御扶持衆扱いの家柄、このほか、
浪岡城
通史編1(古代・中世)
(舶載と国産)
とくに一六世紀になると津軽地域に搬入される陶磁器の量は、地域の拠点的城館である
浪岡城
・大光寺城・石川城
資料編1(考古編)
(第1節 中世・近世遺跡の概観)
沢遺跡 浪岡町 12,13 陶磁器 16 25 源常平遺跡 浪岡町 13,16 陶磁器 11 26
浪岡城
跡
通史編1(自然・原始)
(駒木浮石流凝灰岩)
ところで、浪岡町を流れる浪岡川および正平津川流域にも五本松付近を扇頂部とする開析扇状地が分布し、面上には
浪岡城
跡
通史編2(近世1)
(「津軽一統志」の編纂)
、彼らの由緒、働きの様子、伝承をささいなことでも差し出すこと、③為信の征伐を受けた城の城主の名字、④
浪岡城
主
通史編1(古代・中世)
(城館タイプの分類)
、まず広い領域を支配するために造られた、「領主居住型城館跡」ともいえる拠点的性格を持つ城館は、浪岡町
浪岡城
跡
資料編1(古代・中世編)
([付図])
4 高杉館 69 三宅館 5 笹森館 70 野尻館 6 中別所館 71 胡桃館 7 玄蕃館 72
浪岡城
通史編1(古代・中世)
(埋納銭の出現)
写真85
浪岡城
跡出土の埋納銭 弘前市域の遺跡でも、中崎館遺跡では元豊通宝(げんぽうつうほう)
通史編1(古代・中世)
(二 北奥宗教界を彩る中世的寺社)
西光寺 浄土宗 貞昌寺 建仁年間 (一二〇一~〇四) 金光上人 中野 (浪岡町) 新寺町 当初、
浪岡城
主
通史編1(自然・原始)
(発掘調査の成果)
一九七六)と翌年に弘前市堀越(ほりこし)城の二の丸跡と関連の堀跡(134)、昭和五十二年(一九七七)には
浪岡城
,以後、根城・
浪岡城
の調査は、史跡整備計画に基づいて調査が継続されている(135)。
通史編1(古代・中世)
(一 中世寺院の建立)
220 『津軽一統志』貞昌寺 そのなかにあって、唯一、特異なのが、中野(浪岡町)に造営され、
浪岡城
主北畠氏
資料編1(考古編)
(4.中崎館遺跡)
本遺跡と類似する「かわらけ」出土の近隣の遺跡には、弘前市境関館・浪岡町
浪岡城
本丸跡・蓬田村蓬田大館遺跡
通史編1(自然・原始)
(第一節 注および引用・参考文献)
堀越城跡』 弘前市教育委員会ほか 一九七八年三月 (135)A 浪岡町教育委員会 『昭和五十二年度
浪岡城
跡発掘調査報告書,同委員会 年度ごとに継続刊行Ⅰ~Ⅹ) 一九七八年三月~一九八九年三月 B 浪岡町教育委員会 『史跡
浪岡城
跡環境整備報告書
通史編1(自然・原始)
(古懸浮石流凝灰岩)
浪岡城
跡がのる扇状地(標高45m)を構成する軽石流凝灰岩中の炭化物を測定。
通史編1(古代・中世)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
青森県埋蔵文化財調査センター 図51 作成 図52 青森県埋蔵文化財調査センター 図53 作成 図54 『史跡
浪岡城
跡環境整備基本構想
資料編1(考古編)
(〈注及び参考文献一覧…第3章〉)
前田野目砂田遺跡出土の箆書土器について」(北奥古代文化第7号) 1975年 *269 浪岡町教育委員会 『
浪岡城
跡,Ⅹ』(昭和61・62年度
浪岡城
跡発掘調査報告書) 1989年 *270 新谷武・村越潔ほか 『懸河遺跡発掘調査報告書
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