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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(古代・中世) (浪岡城攻略)

浪岡城攻略 天正六年(一五七八)七月、為信は浪岡御所を攻略し、浪岡御所北畠顕村(具愛)(あきむら(ともちか,んでいたといい、しかも松前家の家譜である「新羅之記録」によると、夷島の蠣崎慶広(かきざきよしひろ)は浪岡御所,浪岡御所北畠氏は夷島の蠣崎氏もその影響下に置き、日の本将軍安藤氏と密接な関係にある存在であった。
通史編1(古代・中世) (安藤愛季の津軽侵略)

の家臣であるにもかかわらず、「津軽之南部」を名乗って上洛させたのは、山科家と浪岡北畠氏との関係から、浪岡御所
通史編2(近世1) (三戸南部氏の津軽進出と大浦築城)

天文十五年(一五四六)に浪岡御所北畠(なみおかごしょきたばたけ)氏が作成したといわれる「津軽郡中名字(
通史編1(古代・中世) (一六世紀の湊)

『新羅之記録』によると、永禄三年(一五六〇)に勝山館から松前に移った蠣崎(かきざき)氏が浪岡御所北畠氏
通史編1(古代・中世) (「津軽(郡)中名字」と浪岡北畠氏)

を構える南部政行、田舎郡二八〇〇町・奥法郡二〇〇〇余町・深沼保内(みそきふかない)一〇〇〇貫の地は「浪岡御所,浪岡北畠氏が一定の勢力を保つことができたのは、檜山へ移動した下国安東氏と南部氏両者の緩衝勢力として、幕府が浪岡御所
資料編1(古代・中世編) (第二節 五輪塔)

これらの五輪塔の分布を視点を変えて見直すと、乳井福王寺の勢力や藤崎・十三の安藤氏、浪岡御所北畠氏、浅瀬石城
通史編1(古代・中世) (三戸南部氏による領国支配の強化)

しかし、南部盛信が「大浦ノ屋形」と呼ばれるように強い勢力を誇り、また南部政行も大浦氏や浪岡御所北畠氏などとともに
資料編1(古代・中世編) ([十四世紀])

●文中三年(一三七四・北応安七)、このころ、浪岡御所北畠氏(顕家子孫という)、稗貫・閉伊船越を経て津軽
資料編1(古代・中世編) ([十六世紀])

●天文十五年(一五四六)、浪岡御所北畠氏、「津軽郡中名字」を編纂するという。
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

……………………… 白河証古文書 221 ●文中三年(一三七四・北応安七)、このころ、浪岡御所北畠氏(,… 新羅之記録・松前家記・八戸湊文書 289 ●天文十五年(一五四六)、浪岡御所北畠氏、「津軽郡中名字
資料編1(古代・中世編) (出典・典拠一覧(第一章・第二章))

………………………………………………………………………………………………………………… 原本写真版 浪岡御所系図
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