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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (海蔵寺)

海蔵寺 海蔵寺(かいぞうじ)は、明応年間(一四九二~一五〇〇)、江山が開山となり、種里村(現西津軽郡鰺,江山は長勝寺創建にあたり、師の菊仙を招いて開山とし、海蔵寺をその末寺とした。 / 海蔵寺
通史編3(近世2) (全昌寺)

全昌寺 全昌寺(ぜんしょうじ)は、京徳寺四世松室の隠居所として海蔵寺と宝積院の間に創建された。,元禄十五年(一七〇二)には衰退し、廃寺になっていたものとみられ、明治三年(一八七〇)に海蔵寺に合併された
通史編3(近世2) ((一)藩主家の菩提寺)

一五二六)十月八日、種里城(現西津軽郡鰺ヶ沢町)で臨終の際、自分の没後は甲胄のまま埋葬すること、これまで海蔵寺,江山はこれまで伝法の僧侶の入寺がなかった海蔵寺開山となり、長勝寺の末寺に連なった。,盛信は海蔵寺を墓所とした。
資料編3(近世編2) (●蘭庭院 栄螺堂 西茂森二丁目--市指定文化財)

東長町の豪商であった中田屋嘉兵衛(賀兵衛)が、天保の飢饉での餓死者の供養のために、天保十年(一八三九)に海蔵寺境内
通史編2(近世1) (協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))

圓覚寺(青森県西津軽郡深浦町) 大阪城天守閣 大阪歴史博物館 尾山神社(石川県金沢市) 海蔵寺
通史編3(近世2) (津梁院)

信建は海蔵寺の僧侶に帰依していたが、萬隆寺(ばんりゅうじ)(曹洞宗、現東京都台東区)の僧侶を支援していたため
通史編5(近・現代2) (東京からの集団疎開児童)

和徳国民学校を使用したのは渋谷区本町国民学校で本部宿舎は西茂森海蔵寺であった。
通史編3(近世2) (江戸時代末期の建築)

らんていいん)の栄螺堂(さざえどう)は、天保十年(一八三九)に、東長町の豪商であった中田屋嘉兵衛(かへえ)が海蔵寺
通史編2(近世1) (大浦城の構造)

大浦城の東側(現在の賀田地区)が旧城下町であり、城の南西の五代旧門前地区には長勝寺(ちょうしょうじ)・海蔵寺
通史編3(近世2) (伊勢参り)

また、正徳五年(一七一五)荒町の善兵衛(六十一歳)が、伊勢・高山へ参詣の帰り、桑名宿で病死し、海蔵寺(
通史編1(古代・中世) (種里城と町)

この区画の手前は「上門前(かみもんぜん)」「下門前(しももんぜん)」と地元の人たちが呼んでおり、「海蔵寺
通史編1(古代・中世) (大浦城と大浦城下町)

門前地区は「五代旧門前地区」と呼ばれ、長勝寺(ちょうしょうじ)・海蔵寺・隣松寺(りんしょうじ)・明教寺
資料編1(古代・中世編) (五 大浦城と「城下」の構造)

また城跡の西南、五代旧門前地区には、長勝寺・海蔵寺・隣松寺・明教寺など、現在は弘前市西茂森禅林街(明教寺
通史編3(近世2) (居開帳)

海蔵寺では、唐糸御前ゆかりの護国寺の本尊で、最明寺入道(北条時頼)が信仰した毘沙門天像を、安永元年(一七七二
通史編1(古代・中世) (四 中世津軽の宗教世界の特色)

安藤氏の津軽山王坊や修験的先達をはじめ、北畠氏の京徳寺、武田氏の宗徳寺、津軽氏の藤先寺、大浦氏の長勝寺・海蔵寺
通史編1(古代・中世) (二 北奥宗教界を彩る中世的寺社)

海蔵寺 同右 長勝寺 明応年間 (一四九二~一五〇一) 大浦盛信 江山智永 種里村 (鯵ケ沢町)
通史編1(古代・中世) (一 中世寺院の建立)

大浦盛信が亡父光信の菩提寺として、種里(たねさと)(鯵ヶ沢(あじがさわ)町)に創建した長勝寺や海蔵寺をはじめとする
通史編2(近世1) (掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)

 弘前市立図書館蔵一般郷土資料 108 青森県立郷土館蔵 109 弘前市 長勝寺蔵 110 弘前市 海蔵寺蔵
通史編1(古代・中世) (一 古代における北奥の宗教世界)

合考すべし (13) 亨(ママ)徳寺 同右 長勝寺 (14) 全昌寺 同右 同右 (15) 海蔵寺
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●慶長九年(一六〇四)七月二十三日、津軽信建の帰依僧海蔵寺、参議西洞院時慶へ面会する。
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