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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (近世初期海運)

近世初期海運 さて西津軽郡深浦町の圓覚寺(えんかくじ)(真言宗醍醐派(しんごんしゅうだいごは))は、,この絵馬は、近世初期海運の実態を知る上で重要である。,北国船とは、近世初期から前期にかけて羽賀瀬(はがせ)船と並んで、日本海海運の主役として活躍した廻船であった,このことによって、当時の敦賀は、日本海海運の中継地としての重要性を中世以来、依然として維持し続けていたことを,このような初期豪商の系譜を引く北陸地方の海商(かいしょう)たちによって、初期海運が維持経営されていたのである / 近世初期海運
資料編2(近世編1) (第二節 海運の発達)

第二節 海運の発達 一 海運に関する布達 二 出舟・出人、湊口、津出・入津役 (旧八木橋氏蔵) / 第二節 海運の発達
通史編2(近世1) (中世の北国海運)

中世の北国海運 若狭・敦賀(つるが)を中点として、日本海沿岸地域と畿内とを結びつけた北国(ほっこく),海運は、古くから発達していた。,これら北奥羽の諸湊の共通点は、大きくいうと、北国海運の諸船の寄港地として発展したことにある。,北国海運での酒田の舟持商人の活躍は、こうした町の在り方を反映したものであった。  ,これらは、北国海運の廻漕業者の船を雇う形で行われた。 / 中世の北国海運
通史編2(近世1) (一 青森開港と初期海運)

一 青森開港と初期海運 慶長八年(一六〇三)、江戸幕府が成立した後、海運を通じた北奥地方と上方との経済的関係,近世初期の段階では、敦賀の廻船商人で徳川家康との関係が深かった田中清六(せいろく)正長らが新たに日本海海運 / 一 青森開港と初期海運
通史編2(近世1) (西廻海運と領内の整備)

西廻海運と領内の整備 西廻海運の発達は、大坂市場の発達とともに盛んとなり、流通機構の再編成を促した。,また、鰺ヶ沢は、西廻海運と藩経済の結節点としての位置を得ることになり、鰺ヶ沢町人が上方廻米船の上乗人に / 西廻海運と領内の整備
通史編2(近世1) (西廻海運による大坂廻米)

西廻海運による大坂廻米 西廻海運が実現すると、上方廻米に利用される廻船の多くが大坂での雇船となった。,そして、さきにもみたように、これらの雇船は、西廻海運の成立によって拡大された、大坂市場と結ぶ瀬戸内海沿岸,西廻海運による上方廻米は、全国市場として成長しつつあった大坂市場へ包摂(ほうせつ)されるものであった。 / 西廻海運による大坂廻米
資料編2(近世編1) (【解説】)

【解説】 本章は、津軽領における「産業と海運の発達」として、おおむね第四代藩主津軽信政の時期から藩政後期,第二節の「海運の発達」では、海上交通による津軽領と上方及び江戸、蝦夷地などとの人や諸物資の交流についての,津軽地方と上方との近世的な交流は、豊臣政権との関係により開始されたが、寛文年間の西廻り海運の形成により,本章では、これら十七世紀後半から幕末に至るまでの、西廻り海運や東廻り海運における商品流通の実態を示す史料,さらに海運のみならず、近隣の南部領や秋田領との陸上交通(街道)における商品流通の実態を示す史料なども掲載
通史編2(近世1) (近世の十三湊)

かわみなと)」(正保・承応年間にはすでに「川湊」と称される湊へと変貌していた)として岩木川舟運と日本海海運
通史編2(近世1) (豊臣政権の奉行衆)

秀吉はこれら集権派に属する財務に秀でた奉行や家臣らを北国海運の拠点に据え、その海運によってもたらされる
通史編1(古代・中世) (津軽惣地頭宇佐美実政)

津軽惣地頭宇佐美実政 こうして平泉藤原氏の滅亡後の体制整備が進むなか、本州の最北辺にして海運上の要衝
資料編2(近世編1) (はじめに)

収載した内容は、第一章、藩政成立への道、第二章、藩政の確立、第三章、藩政の展開と思想、第四章、産業と海運,産業の発達では、交通・海運・鉱山等に主力をおいたため、他の業種への言及が少なかったことは否めない。
通史編2(近世1) (新編弘前市史 通史編2(近世1) 目次)

200 第四節 近世前期の商品流通と交通の整備 …………………………  210   一 青森開港と初期海運,…  315   四 元禄飢饉と農政の転換 ………………………………………  322 第三節 西廻り海運,と上方市場 ………………………………………  334   一 西廻り海運の発展~北国海運から西廻り海運
通史編2(近世1) (北奥羽の大名の動向)

―蘆名(あしな)の系列が形成され、これをもとに推進されており、これに近い南部・安東氏を加えると、北国海運,また、奥羽、なかでも北出羽は、北国海運を通じて上方(かみがた)の的確な情報をつかむことができたという(
通史編1(古代・中世) (鳥取越えの奇襲と安藤次)

鎌倉方の道案内をするということは、奥州方への裏切り行為ともいえるのであるが、海運や商品流通に深くかかわる
通史編2(近世1) (慶安二年の「弘前古御絵図」)

認められるところであり、これによれば、十七世紀の中ごろに弘前城下に居住していた町人層の多くは、西廻り海運,また、大坂・京・近江・加賀など、西廻り海運に関係する地名の屋号が、東北地方を地名を冠する屋号よりも圧倒的
通史編2(近世1) (青森町の成立と青森開港)

津軽から同藩の江戸屋敷へ御膳米(ごぜんまい)(江戸藩邸で費消する台所米)の廻漕を許可したもので、東廻り海運,、太平洋海運への参加を促すものとなった。  ,その理由は、旧来の特権を有していた有力な商人層を排除して太平洋海運の発展に対応可能な近世的商人を育成し,戦国期以来、外浜地帯と北陸地方との活発な交易活動が存在したことが明らかであり、彼我の結びつきは日本海海運
通史編2(近世1) (材木移出)

津軽領内の材木は、大坂・上方のみならず、東廻海運・太平洋海運をも通じて流通していたのである。  
通史編1(古代・中世) (文永の蝦夷の乱)

北条得宗家の幕政全般における権力掌握につれて、得宗家は全国的海運をも掌握するに至っていた。
通史編1(古代・中世) (奥羽の特殊産物)

として「もくし(牧士)きとう四郎」なる人物がみえることから明らかなように、山の民・海の民である安藤氏は、海運
通史編2(近世1) (太閤蔵入地の設定)

まずは、陸奥国に設定されたという蔵入地についてみてゆくことにしよう(以下は、渡辺信夫「南部・津軽藩と若狭海運,」福井県立図書館他編『日本海海運史の研究』一九六七年、および、長谷川前掲『近世国家と東北大名』による)
通史編1(古代・中世) (一六世紀の湊)

はまどおり)遺跡の状況をみると、日本海から津軽海峡を横断し、尻屋(しりや)崎を南下する太平洋岸までの海運
通史編2(近世1) (堀越城の構造)

多数搬入されていることが知られることから、「津軽一統志」の文禄三年居城移転を裏付けるとともに、大浦氏が北国海運
通史編2(近世1) (上方廻米)

一方、「雇船(やといぶね)」はその多くが他国船であり、大きく敦賀・越前新保・加賀などの北国海運関係と、
通史編1(古代・中世) (湊の最盛期)

十三湊,内側は境関館)  このような瀬戸製品の突出した現象については、一四世紀後半以降における海運
通史編2(近世1) (九戸一揆の始まり)

四月十三日に出発した利直は、北国海運によって京へ向かい、五月二十八日に上洛、翌二十九日に南部氏の取次である
通史編4(近・現代1) (弘前県から青森県へ)

だと封建の旧弊から抜け出しがたく、諸事御一新の目的が達しがたい、これに対して青森は「陸羽第一ノ大港ニテ海運得便
通史編2(近世1) (津軽領内のアイヌ民族)

その購入資金は、漁労を中心とする猟、交通路近くでの宿、領内海運=「小廻(こまわし)」への従事で得ていた
通史編4(近・現代1) (第五十九国立銀行の創設)

の大半を占める弘前士族らの意見で弘前に決定され、青森には支店(同年七月一日)が、そして、青森と同じく海運
資料編2(近世編1) (新編 弘前市史 資料編2(近世編1) 目次)

牢屋敷の構造  …………………………………………………………………………  八九八 第四章 産業と海運,  三 漆仕立  …………………………………………………………………………………  九六三  第二節 海運,の発達  …………………………………………………………………………  九八三   一 海運に関する布達
通史編4(近・現代1) (りんご生産の展開と農業振興)

弘前から青森を経て、海運によって函館をはじめ京浜、中京、阪神、九州と主要都市を中心に全国に販路が拡大されていった
通史編2(近世1) (伏見作事板の運上と太閤蔵入地)

奥羽の諸大名は、これら北国海運を担っている豪商との深い関係を持っていた(山口徹『日本近世商業史の研究』
通史編2(近世1) (北奥羽の領知確定)

その際、北国海運の豪商を利用し、豪商の経済力によって領国支配を強化するとともに、京都への交通を握る敦賀
資料編3(近世編2) (【解説】)

また塗物の原材料となる漆木の栽培関係については、資料編2の第四章「産業と海運の発達」第一節「殖産政策の
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