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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (深沙宮)

)(三蔵法師)がインドを往復した時の守護神で憤怒の相・全身赤色・左手に青蛇の深沙大将と結びつけられ、深沙大権現
通史編3(近世2) (神宮寺)

「天台宗縁起」(同前No.四〇七)によれば、延暦十四年(七九五)、坂上田村麻呂が蝦夷と交戦中、深沙大権現
通史編1(古代・中世) (青森県内の田村麻呂伝説)

たとえば『津軽一統志』首巻では岩木山三所大権現を延暦十五年創建とし、猿賀神社(深沙大権現)については、
資料編1(古代・中世編) (二 乳井茶臼館の歴史)

『津軽一統志』や『封内事実秘苑』によると、戦国時代にこの地を領していたのは、乳井福王寺の別当で、猿賀深沙大権現
通史編1(古代・中世) (一 古代における北奥の宗教世界)

為信公 橋雲寺(真言宗) (5) 聖観音 不詳 久渡寺(真言宗) 僧円智の創立とも伝える (6) 深沙大権現,宗派別にみると、最初の岩木山三所大権現・八幡太神宮・大聖不動明王・勝軍地蔵堂・聖観音は真言宗に属し、続く深沙大権現,の円智上人の開基と伝える阿遮羅の三千坊のことを、天台宗の根本道場たる比叡山とのかかわりで捉え、しかも深沙大権現,そういう意味からも、天台宗が別当を勤めたとされる深沙大権現・熊野三所大所大権現・八幡太神宮の三社は、平安前期,この時代的にも矛盾なく整合する三社のうち、とりわけ深沙大権現の縁起を伝える前掲の、「当国者中日本艮之間
資料編1(古代・中世編) (五 乳井地区の城館群と宗教的領域)

また玄蕃は、乳井福王寺の別当職にあり、猿賀深沙大権現の別当職も兼ねていた。
通史編3(近世2) (金木屋の生活)

大道寺家一行が明日の早朝に出発し、猿賀(猿賀山深沙大権現(じんじゃだいごんげん)、現猿賀神社)へ参詣の
通史編1(古代・中世) (二 北奥宗教界を彩る中世的寺社)

延暦年中(七八二~八〇六) 猿賀神宮寺 尾上町 (もと猿賀村) 天台宗 猿賀神社の別当、もと深沙大権現
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