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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(古代・中世) (田村麻呂と観音信仰)

これはある旅の僧が、京都の清水寺(写真53)に参詣した際に、田村麻呂の霊があらわれて観音の功徳を述べ、,写真53 田村麻呂の創建と伝えられている清水寺(京都市東山区)  この謡曲のもとになったものは、,数種類存在する『清水寺縁起』などにみられるが、それは早く『今昔物語集』や『扶桑略記』『源平盛衰記』などにもみられるものである,『清水寺縁起』によると、無事東国を平定した田村麻呂が、延暦十七年(七九八)に伽藍(がらん)を造って観音本像,田村麻呂の観音信仰の深さが、清水寺を創建させたというのである。
通史編1(古代・中世) (青森県内の田村麻呂伝説)

そこで考えられるのが例の清水寺とのかかわりで先にも触れたように、その縁起では田村麻呂が西京の自分の家の,寝殿をこの年に清水寺に寄進しているのである。
通史編3(近世2) (観音信仰)

我々にとっては身近にある菩薩で、京都清水寺や江戸浅草寺の観音のように、宗派に関係なく信仰された。
通史編1(古代・中世) (田村麻呂と頼朝)

写真52 悪路王の首像  一方、『元亨釈書(げんこうしゃくしょ)』では清水寺創建の僧延鎮(えんちん
通史編3(近世2) (居開帳)

同十三年、後に五代藩主になる津軽信寿が、清水寺観音(現多賀神社、市内桜庭)に参詣する時、開帳を求めたのに,図27.久渡寺  清水寺観音では、宝暦十二年(一七六二)五月の開帳願いが、郡・勘定両奉行によって
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