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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (清水谷公考の退去)

清水谷公考の退去 旧幕府軍の勢いは強く、一方の政府軍に兵力の限界を感じた清水谷公考は、十月二十四日、,そして、二十五日から二十六日にかけて、清水谷公考とともに箱館府兵五二人・松前藩兵一一五人・雇兵隊四〇人 / 清水谷公考の退去
通史編3(近世2) (箱館戦争の終結)

青森口総督清水谷公考も箱館へ戻り、降伏した旧幕府軍のうち六一〇人は弘前藩へしばらく預けられることとなった,図72.清水谷公考感状  弘前藩士は総督府守衛に当たった者を除き、五月二十四日から続々と帰国凱旋
通史編3(近世2) ((一)箱館戦争の開始)

十月十七日、政府から派遣され、箱館府知事に任じられていた清水谷公考(しみずだにきんなる)から、八月に品川
通史編3(近世2) (箱館戦争期の兵員補充)

ところが、同日に箱館府知事清水谷公考(しみずだにきんなる)から飛報がもたらされた。
通史編3(近世2) (戦局の推移と戦費負担の増加)

箱館に旧幕府脱艦隊榎本武揚の軍が来襲し、同地を守る府知事清水谷公考(しみずだにきんなる)が弘前藩に対して,木村に続いて清水谷公考と随行員も青森に敗走し、世情は緊迫の一途をたどった。,出兵人数443人  8 同上 領内沿岸警備 36,610 出兵人数3,628人  9 清水谷公考青森転陣
通史編3(近世2) (旧幕府軍の軌跡)

そして、直ちに箱館府知事清水谷公考へ上陸の趣意と蝦夷地下付嘆願を伝える使者とそれに付属する一小隊が出発
通史編3(近世2) (近隣諸藩の動向)

政府は、蝦夷地の警衛に関して、清水谷公考を総督とする箱館裁判所の設置を実行に移した。
通史編4(近・現代1) (弘前県から青森県へ)

軍務官太田亥和太(いわた)を政府軍参謀として奥羽に派遣したが、太田は同門同郷の野田を周旋、野田は明治元年九月十四日清水谷公考
通史編3(近世2) (箱館戦争をみた農民)

町々の入口には番屋が置かれ、本町の常光寺は清水谷公考(しみずだにきんなる)の陣所で警戒はことに厳重であった
通史編3(近世2) (藩論の紛糾)

わきを固める軍勢は薩長をはじめとする諸藩からの応援兵を抱えたもので、その勢いは強大であり、また、鎮撫使清水谷公考
通史編3(近世2) (松前方面の攻防と青森)

図67.箱館・松前付近図  十一月十六日、清水谷公考一行は黒石に転陣。
通史編3(近世2) (松前徳広の領内落去)

十二月十五日、清水谷公考は青森総督に任命されることとなり、青森常光寺(じょうこうじ)へ転陣することが決
通史編3(近世2) (新しい指導者)

勃発した明治元年(一八六八)には二十四歳にして兵部少輔(しょう)となり、軍事参謀試補として箱館府総督清水谷公考
資料編3(近世編2) (【解説】)

ところが、その直後の十月十八日に箱館府知事清水谷公考(きんなる)卿から榎本旧幕府脱艦隊襲来の飛報がもたらされ
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