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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編5(近・現代2) (建設業の動向)

五十年から五十三年にかけては一三・四%と増加しているが、従業者数は昭和五十三年から五十六年には五・五%減少,この従業者数の減少は、災害復旧工事、東北縦貫道工事の完了に伴う景気の後退により総合工事業が減少したためであると,減少となっている。,産業中分類では、事業所数では総合工事業の減少が大きく、従業者数では職別工事業の減少が大きい。  ,従業者数はこの間調査のたびごとに減少している。
通史編4(近・現代1) (凶作の影響)

弘前、八戸、五所川原、黒石の合計で、大正二年の年末における料理屋数は七二四であり、前年と比べ、五五%減少,芸妓数は若干の増加となり、酌婦数は減少した。登楼人員は三四%減少し、遊興金額総額は四二%減少した。,の宿泊客数は、大正二年十月から十二月までの三ヵ月で六万一〇〇〇人余りで、前年と比べ一万五〇〇〇人余り減少,このほか、弘前駅をはじめとして県内の主要な駅の乗降客数が減少し、質屋での質流れ金額が前年比の三倍に増加
通史編5(近・現代2) (卸売・小売業、飲食店の事業所)

小売業、飲食店の事業所 卸売・小売業、飲食店の事業所数は、昭和五十六年まで増加し、以後、平成期まで減少,増減率では、各種商品小売業と飲食料品小売業がわずかな減少をしたのを除き、全業種が増加し、とりわけ飲食店,産業中分類別では各種商品小売業だけ減少し、その他はすべて増加した。,、民営総事業所数の五二・四%と半分以上を占めているが、昭和五十六年に比べると、九三事業所(一・七%)減少,しかし、昭和六十一年と比べると、三一七減少した。
通史編4(近・現代1) (町財政の展開)

金五千六百九拾五円八十銭、即チ金壱円ニ付金三銭四厘七毛五六八   外  金五拾円三拾五銭四厘 公売処分金及営業税ノ減少,一 雑収入ノ臨時収入アル所以ノモノハ、桶屋町外四ヶ町、古橋木材売却スルニ由ル (同前)  営業割減少,の原因である営業税減少は、松方デフレの影響が続いていることを示している。  ,明治十八年度弘前総町費支出精算報告説明  会議諸費 此精算額ヲ以テ予算額ニ比スレハ、金拾壱円九拾弐銭壱厘ヲ減少,カ二日間ニシテ結了セルニ因ル  土木費 此精算額ヲ以テ予算額ニ比スレハ、金百拾四円四拾七銭九厘ヲ減少
通史編5(近・現代2) (国際化・自由化と農林業振興計画)

けられなくなってきた今日、農業・農村を抱える自治体では、全国のどこの地域においても高齢化と農業担い手の減少,」において、農家戸数が前回(昭和六〇年・一九八五年)より七・一%(九〇一一戸から八三六七戸へ)大幅な減少傾向,それは昭和六十年代をピークとする農業産出額の低下に顕著に表れているように農業所得の減少、加えて農家経済,を圧迫しているのは農業生産だけではなく、農家総所得の減少である。,こうした傾向は農村人口の減少・高齢化、農業担い手の減少をもたらし、特に、中山間地域に際立って現れるようになった
通史編4(近・現代1) (日清戦争後の商業活動)

明治32年青森県治一班』明治33年  この数値を一〇年前の数値と対比すると、卸売、仲買、小売がともに減少,減少している営業のうち、卸売は、明治三十年の数値が大きい。
資料編1(考古編) (5.青森県における弥生時代の終局)

弥生文化も、中期後半の田舎館式期を境にして衰退したのであろうか、後期の念仏間式期に入ると遺跡は急激に減少,このような弥生時代後期の遺跡減少は、いわば人口減少の結果であり、東北地方北部には一種の過疎化現象が起こったのであろう
通史編5(近・現代2) (弘前市の事業所の動向)

減少したのは製造業が事業所で一・〇%、建設業が従業者数で五・五%であった。  ,し、同じく従業者数は七万一七五九人となり八七三人(一・二%)の減少となっている。,事業所及び従業者数は、昭和五十六年までは着実な増加を続けていたが、昭和六十一年調査で減少となった。,事業所数は前回に続いての減少となっているが、従業者数は増加に転じた。,民営事業所数はちょうど一万、従業者数は六万八一八七人となり、前回に比べて事業所数で三六五(三・五%)減少
通史編5(近・現代2) (朝鮮戦争による特需と商店街)

闇物資は減少し、夏には弘前夏祭りが開かれた。
通史編5(近・現代2) (長距離バスと赤字路線)

写真181 ノクターン号出発式  しかし、バスの利用者は年々減少しており、自家用車の普及に反比例
通史編5(近・現代2) (国民体力の管理化)

それ以前からも国民の体力向上や乳幼児の死亡率減少を意図した運動があった。,これは乳幼児の死亡率減少のために実施された事業で、昭和二年五月五日、全国一斉に実施している。
通史編5(近・現代2) (鉄道の高速化)

鉄道の高速化 自家用車の普及に伴う鉄道利用客の減少に歯止めをかけるため、輸送サービスの質的向上を目的
通史編2(近世1) (宝暦改革の課題)

初頭には、貨幣経済の浸透によって米価の低落とは逆に、諸物価が高騰する経済状況が顕著となり、年貢収入が減少,と、増大化していく下層農・日雇取(ひようどり)層との関係が、一村を越えて広域化していく中で、百姓数の減少
通史編5(近・現代2) (第一、第二大成小学校の統合)

第一、第二大成小学校の統合 都市のドーナツ化現象と少子化の影響により、弘前市内各小学校は就学児童数の減少,を来したが、その中でも特に減少が著しいのは第一大成小学校と第二大成小学校であった。
資料編1(考古編) (-古代後期Ⅲ期(10世紀中葉~10世紀後葉)-)

また、各器種の特徴としては黒色処理坏が大きく減少し、ほとんどが無調整坏となる。
通史編2(近世1) (「分領」体制下の警衛と政策の実態)

の定数を九〇人詰に削減し、さらに慶応二年(一八六六)には、箱館詰の定数を一五四人、スッツ詰を七七人に減少
通史編2(近世1) (家臣団構成)

役職名は約三〇と簡略なものとなっており、家臣団の数も一四〇人で、寛延の分限帳と比べると約三〇人減少している
通史編5(近・現代2) (幼稚園の廃園)

幼稚園の廃園 都市のドーナツ化現象と、少子化の影響を受け、弘前中心部の小学校入学児童が減少するなか、
通史編5(近・現代2) (りんごの自由化と産地の対応)

とはいえ、青森県のりんご生産量は減少傾向にあり、この背景には、バブル崩壊後の消費不況、りんご輸入の影響,、生産者手取り価格の減少、さらには高齢化・後継者難から傾斜地だけではない平地りんご園の放棄地も増加するなど
通史編1(自然・原始) (年間降水量の経年変化)

(ロ)近年は、一九六六年の多雨年から、年間降水量は減少傾向にあって約三〇年の経過になっている。
通史編4(近・現代1) (不況からの脱却)

によって増減に波があり、大正十二年(一九二三)には合計二四九六戸(うち商業一五三九戸、工業九五七戸)と減少
通史編5(近・現代2) (飲食業のあり方)

(10)経営上の間題点では、客数の減少二七・六%、経費の増加二六・四%、立地条件の低下二一・四%、売れ,(11)さらに、販売の内容については来客数、販売額、客単価、荒利益、純利益など何れも減少しているとした,この客単価の低さについて理由はいろいろあろうが、人件費高騰による女性雇傭の減少、冷害と不況による節約ムード
通史編2(近世1) (宝暦の飢饉)

といわれる犠牲者を出し、『八戸藩史料』によると逃散も含めての数字であろうが、人口は一年間で二万人もの減少
通史編5(近・現代2) (農民運動の変質)

農民運動の変質 本県も、都市の不況や北洋漁業の出稼ぎの減少から土地取り上げの争議が目立って増え、八年
通史編2(近世1) (「人寄せ」と人口流出の禁制)

「人寄せ」と人口流出の禁制 廃田を復興し、荒廃した農村を復興させるには、飢饉のため人口が減少した農村,天明の飢饉は餓死・病死による減少以外に、他領への逃散(ちょうさん)という形で多くの人口流出を招いた。
通史編1(自然・原始) (台風来襲)

その後、名だたる台風は減少したが、前述のように平成三年(一九九一)に猛烈な台風一九号が来襲している。
通史編5(近・現代2) (乳井市政)

として、半年前の十三年十二月に県下の有権者が一八万二〇〇〇人あったのが十四年七月は一七万七〇〇〇人と減少
通史編5(近・現代2) (鉄道事業の消長)

しかし、同線は、昭和五十九年に弘南鉄道株式会社の経営に委ねられたが、利用者の減少に伴って、平成十年三月三十一日
資料編1(考古編) ((2)9世紀~10世紀後半)

いたものと見られ、多くの遺跡で米が出土するほか、7~8世紀代に見られた雑穀栽培主体型の山間部集落が極端に減少
通史編4(近・現代1) (青森県立弘前女子師範学校)

しかし、県会議員の中には女子師範学校廃止を唱える者が多く、女子師範学校への入学志望者の減少、入学したものの
通史編4(近・現代1) (織物の商況)

其価格弐万五千弐百円、其他玉紬百八十九反、其価格四百四拾四円拾五銭ニ達シ、専ラ地方ノ需用ニ供スルヲ以テ、追々管外輸入ヲ減少
通史編1(自然・原始) (台風の上陸数と接近数)

台風の発生数は一九六〇年代半ばまでは増加したが、その後は減少した。
通史編5(近・現代2) (高度成長の開始)

この一〇年間に、第一次産業人口が大幅に減少し、一方、第三次産業人口が増加した。
通史編5(近・現代2) (市街化区域と市街化調整区域)

変更のたびに市街化区域が増大し、市街化調整区域が減少している。
通史編2(近世1) (元禄の大飢饉と家臣召し放ち)

藩が勘定奉行に命じてまとめさせた「減少人数」の総計は一〇六〇人で、そのうち国元の者が一〇一二人、江戸での,一四万四一六五石四斗二升五合である(「元禄八乙亥十一月廿一日改弘前御家中分限帳覚」『津軽史』八)から、減少人数,これらいわば親がかりの組士は、「減少」による一般組士の不足を補うとともに、知行宛行の必要がなかったから
資料編1(考古編) (〈用語の解説…第3節〉)

t年前の生物の遺体中の14C濃度は、t年間の14Cの壊変によって減少する。,この14Cで濃度の減少を測定して年代を算出する。
通史編1(古代・中世) (地方色を顕す古代の津軽地方)

また、日常容器をみてもわかるように、土師器坏が極端に減少し、把手付土器や蒸籠形甑(せいろうがたこしき)
通史編4(近・現代1) (運送業の活躍)

汽車貫通後、稍其ノ数ヲ減少セリト雖、四輪車ノ荷馬車ハ県下到ル処ニ往来シ、海陸運輸ノ利便ハ、他ニ優ルトモ
通史編5(近・現代2) (りんご産地市場の登場)

また、弘前を中心とする津軽一帯に限っては、りんご産地流通の担い手であった仲買人の減少に伴って、その機能
通史編4(近・現代1) (簡易小学校について)

郡はこれで未就学児童が大幅に減少するものと期待した。
通史編4(近・現代1) (村の実情)

中津軽郡宮地村戸長山崎彦市が、明治十三年十二月十日に村会に提案した民費減少のための建議は村の実情をよく
通史編5(近・現代2) (酒造業)

明治三十一年度以降減少していくが、大正期に入り、大戦景気が到来すると地場産業育成のため、県は醸造技師を
通史編5(近・現代2) (市街地の交通緩和対策)

藤崎町より弘前市門外に至るバイパス道路を建設して交通規制を行なうことは交通量緩和の点からも交通事故の減少
通史編1(古代・中世) (弥生文化と続縄文文化)

東北地方北部における弥生時代後期以降の遺跡数減少は、気候寒冷化によって稲作農耕が後退し、人口が減少したことを
通史編3(近世2) (藍)

そこで縮藍(ちぢみあい)の種子を移入して栽培させたところ格別藍の出来が良く、年々植え付けが増加し移入が減少
通史編3(近世2) (焼成について)

なお埋蔵量の減少に伴い、和徳の別の畑地および南溜池南方(現市内清水富田)の堤や猫右衛門町(ねこえもんまち
通史編5(近・現代2) (全農青森県連合大会)

・台湾からの移入米が一〇〇〇万石を突破し、内地の米配給量がかえって増えた一方、大衆の購買力がますます減少
通史編5(近・現代2) (終戦直後の東奥義塾)

理由は女子志願者の減少であった。
通史編4(近・現代1) (弘前市財政の整備)

責アルヲ以テ、大体期限内ニ納税スルノ感想ヲ有セリ、故ニ市税ノ如キモ国税等ノ如クナラシメハ自然滞納者モ減少,八百八十一件ニシテ、一ヶ月平均七十三筆余ニ当リ、之レヲ前年報告セシ異動ノ筆数ニ比スレハ、四百二十件ノ減少,其結果ニヨリ建物台帳及戸数台帳、加除訂正セシモノ六百十一件ニシテ、前年ノ個数高ニ対シ、八千五百八十七個ヲ減少
通史編2(近世1) (騒動のその後)

皮肉なことに天明三年の飢饉で懲りた奥羽諸藩が一斉に廻米を減少させた結果であった。
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