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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(古代・中世) (斉明天皇四年の「北征」)

こうした動きを見て、米代川河口付近に拠点を持つ渟代(ぬしろ)蝦夷たちは早くに降伏したらしく、津軽蝦夷と,そうした津軽や渟代の蝦夷の首長は、それぞれ地域の責任者に任命され、越国守比羅夫の指揮下に入っていたらしい,このことは史料二二でははっきりとは書かれていないが、齶田と渟代の扱いの違いについては史料二三でも明確に,史料二二の冒頭で、齶田と渟代の蝦夷が同時に降伏したように書かれているのは誇張である。  ,こうして津軽・渟代の蝦夷を固めた後、四月に、比羅夫は多数の船からなる水軍を率いて越国を出発し、日本海岸
通史編1(古代・中世) (比羅夫は何回遠征したか)

齶田(あぎた)・渟代(ぬしろ)の蝦夷は怖れて降伏した。,えしたいと思います」  そこで恩荷に小乙上(しょうおつじょう)(冠位一九階中、第一七位)を授け、また渟代,柵養蝦夷二人に位一階、渟代郡の長官沙尼具那(さにぐな)に小乙下、次官の宇婆左(うばさ)に建武(けんむ),また渟代郡の長官沙奈(尼)具那に命令して、(渟代・齶田二郡の)蝦夷の人口と、その郡内に虜(とりこ)となっている,阿倍臣は飽田・渟代の蝦夷二四一人およびその虜三一人、津軽の蝦夷一一二人およびその虜四人、胆振鉏(いぶりさえ
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