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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編1(古代・中世)
(渡嶋津軽津司)
渡嶋
津軽津司 以上見てきたように、太平洋側でも日本海側でも、徐々に律令国家の力は北へ北へと浸透していったわけであるが,県下の地名がみえるものとしては、『続日本紀』養老四年(七二〇)正月丙子条の、「
渡嶋
津軽津司従七位上諸君鞍男,またそもそも「
渡嶋
津軽津司」の訓(よ)みも諸説ある。,「
わたりのしま
のつがるのつのつかさ」「
わたりのしま
とつがるのつとのつかさ」「
わたりのしま
とつがるとのつのつかさ,にかかるとみるのが自然であるから、最後の「
わたりのしま
とつがるとのつのつかさ」と訓(よ)むのが正しい理解 /
渡嶋
津軽津司
通史編1(古代・中世)
(有間浜の所在)
(
わたりのしま
)蝦夷を集めて大宴会を催している(史料二二末尾)。 ,比羅夫は、かねて交流のある津軽蝦夷の仲介で、
渡嶋
蝦夷との接触に初めて成功し、そこで大いにもてなして帰順,現在の北海道の「
渡嶋
」は「おしま」と訓(よ)まれているが、『日本書紀』の「
渡嶋
」は、『釈日本紀』(鎌倉時代末期,に成立した、現存最古の『日本書紀』の注釈書)の伝える「秘訓」によれば、「
わたりのしま
」と訓む。 ,ここで問題となるのは、有間浜と
渡嶋
の現地比定である。
通史編1(古代・中世)
(比羅夫は何回遠征したか)
そしてさらに進んで有間浜にて
渡嶋
(
わたりのしま
)の蝦夷を召し集めて饗宴を開いて帰った。 ,阿倍臣は陸奥蝦夷を自分の船に乗せて大河のほとりに至ると、
渡嶋
蝦夷が千人余りが海岸に集まり、川に向かって
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