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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(古代・中世) (渡嶋の終焉)

渡嶋の終焉 その後、寛平(かんぴょう)五年(八九三)にも、元慶の乱の後遺症から、渡嶋蝦夷と他の蝦夷との
通史編1(古代・中世) (斉明天皇六年の「北征」)

蝦夷を自分の船に乗せて(史料二七では「陸奥蝦夷」とあるが、それはこれら三郡を含む広域地名であろう)、渡嶋蝦夷,すると対岸の海辺に、渡嶋蝦夷千人あまりが軍営を構えており、比羅夫軍を見つけると、大声で、「粛慎(あしはせ
通史編1(古代・中世) (青森県下の情勢)

史料一六二・三二四)、基本的には八・九世紀を通じて出羽国府へ来朝し、貢納関係を保っていたようである(渡嶋蝦夷
通史編1(古代・中世) (斉明天皇五年の「北征」)

まず例の有間浜に、飽田(あきた)・渟代・津軽の蝦夷と、前年帰順した渡嶋蝦夷の一派と思われる胆振鉏(当時
通史編1(古代・中世) (後方羊蹄の所在地)

の拠点が大河の河口付近にあることが多いのは、齶田(飽田)=雄物川、渟代=米代川などの事例から知られ、渡嶋蝦夷
通史編1(古代・中世) (沈黙交易)

あるいはこの岩木川河口付近は、中世の十三湊がそうであったように北方と南方との交易の拠点で、渡嶋蝦夷と粛慎
通史編1(古代・中世) (有間浜の所在)

比羅夫は、かねて交流のある津軽蝦夷の仲介で、渡嶋蝦夷との接触に初めて成功し、そこで大いにもてなして帰順
資料編1(古代・中世編) ([七世紀以前])

●持統天皇十年(六九六)三月十二日、越渡嶋蝦夷・粛慎に賜物。
通史編1(古代・中世) (原エミシ文化の形成)

、この地帯が東北地方北部とさらに交流の拠点地域として機能していたことを象徴するものといえ、文献では、渡嶋蝦夷
通史編1(古代・中世) (異類の来襲)

俘囚」と同義、あるいは新羅人を指す用法などがあるが、ここでは「俘囚」とは区別されているので、津軽以北の渡嶋蝦夷
通史編1(古代・中世) (粛慎とは何者か)

『日本書紀』では、渡嶋蝦夷と粛慎とが併記されている箇所があり(史料二七・三八)、両者は民族的に明確に区別
通史編1(古代・中世) (比羅夫は何回遠征したか)

阿倍臣は陸奥蝦夷を自分の船に乗せて大河のほとりに至ると、渡嶋蝦夷が千人余りが海岸に集まり、川に向かって
通史編1(古代・中世) (一 中世寺院の建立)

なぜなら、奈良朝期の「渡嶋蝦夷」と古代律令国家とのかかわり(『日本書紀』)はもとより、平安後期の頃には
資料編1(古代・中世編) ([八世紀])

●養老二年(七一八)八月十四日、出羽・渡嶋蝦夷、馬の貢上により授位禄。
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

……………………………… 日本書紀 11 ●持統天皇十年(六九六)三月十二日、越渡嶋蝦夷・粛慎に賜物。,……………………………… 続日本紀 14 ●養老二年(七一八)八月十四日、出羽・渡嶋蝦夷、馬の貢上により
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