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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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資料編1(考古編)
(第5節 温泉)
第5節
温泉
東北地方には600を超える
温泉
地があるとされている。,青森県内の
温泉
地は福島県に次いで多く、酒井(1967)によって青森県の
温泉
が総括された時点で67か所の,津軽平野周辺にあるもののうち、大鰐
温泉
、温湯・板留
温泉
、嶽・湯段
温泉
などが高
温泉
のタイプに含められ、酸,一般に第四紀火山に近接した高
温泉
は、硫酸酸性泉(嶽・湯段
温泉
、酸ヶ湯
温泉
)が見られ、第四紀火山から離れた,大鰐
温泉
をはじめ、浅虫
温泉
や札幌近郊の定山渓
温泉
などは、すぐそばに第四紀火山はないことから、
温泉
の熱源 / 第5節
温泉
通史編1(自然・原始)
(掘さくの深度)
掘さくの深度 図41には弘前付近における
温泉
掘さく井の深度分布を示した。,津軽平野南部の
温泉
掘さく深度は、地下三〇〇メートルから一一〇〇メートルである。,この配列が
温泉
を溜める地層の高まりを形成していることが分かる。,北方地域にも五〇〇メートルより浅い
温泉
は認められない。,これらの地域には七〇〇メートルより深い
温泉
が多数存在しており、巨視的にこれらの
温泉
群が南北に帯状配列することから
通史編1(自然・原始)
(第四節 引用・参考文献)
第四節 引用・参考文献 (1)岩井武彦(一九七九) 青森県津軽平野地域における
温泉
群の研究、青森県環境保健部,、八-二五頁 (2)岩井武彦(一九八〇) 青森県弘前盆地地域における
温泉
群の研究、青森県環境保健部、,八-二七頁 (3)酒井軍治郎(一九八一) 弘前市高杉地区における
温泉
開発について、二-二〇頁 (4,(9)水収支研究グループ訳(一九七八) 地下水管理モデル、環境情報科学センター、四四頁 (10)
温泉
,(一九九〇) 浪岡町・板柳町・藤崎町・常盤村・田舎館村、青森県環境保健部、四-五八頁 (12)
温泉
ゆう
通史編1(自然・原始)
(地下水系)
地下水系 図44に
温泉
の水素イオン濃度(pH)を示した。,津軽平野南部地域の
温泉
は、中性泉からアルカリ泉である。,このことは、
温泉
水の流動に関して両水系は関与していないといえる。,図44
温泉
の水素イオン濃度分布(pH)(5万分の1津軽地域広域市町村圏図〈国土地理院承認番号 平元,
通史編1(自然・原始)
(黒石逆断層系)
本断層の存在もしくは延長連続を示唆する
温泉
は、津軽平野南東縁部の東北自動車道の西側に分布し、想定される,断層の東側にある平賀町唐竹
温泉
群と同一泉質組成(非炭酸ナトリウム+非炭酸カルシウム型)を示す。,唐竹
温泉
群との掘さく深度の差を断層変位量と考えた場合は、二〇〇メートルから五〇〇メートルとなり、黒石方向
通史編1(自然・原始)
(泉質)
表10
温泉
井の水質一覧表(
温泉
ゆう出基礎調査報告書,1989・1990・1991を編集) 番号 深度,の五〇〇メートル以深の
温泉
がほぼ同じ値を示す。,津軽平野南縁部の
温泉
は丘陵に位置し、周辺には新第三系中新統の松木平層や大和沢層が分布する。,これらの
温泉
の掘さく深度は四五〇メートルから七〇〇メートルであり、
温泉
を貯蔵する地層は大和沢層の下部から,泉質は近接する丘陵地内の平賀町唐竹
温泉
群と同じであるが、
温泉
を貯蔵する深度は平野下で六八〇メートルから
資料編1(考古編)
([付図])
田浦
温泉
弘前市大字大森字田浦85-1 900 150~100 49.0 0 220 4 鬼沢
温泉
,瑞風荘 神原
温泉
弘前市大字高杉字神原93-2 730 150~125 42.0 0 400 6 三世寺
温泉
,弘前市大字独弧字石田170-2 562 150~100 41.0 0 360 8 はなさき
温泉
津賀野
温泉
,弘前市大字津賀野字浅田987-1 700 150~100 51.0 0 130 9 石渡
温泉
石渡
温泉
,境関
温泉
弘前市大字境関字亥ノ宮8-1 550 150~100 46.0 0 153 14 白菊
温泉
通史編1(自然・原始)
(水文地質学)
一方、津軽地域における多くの
温泉
貯蔵形態は、古くは石油鉱床に伴う石油かん水的性質を示す、地層に閉じこめられた,しかし近年では、短期間に多くの
温泉
が開発されているにもかかわらず、枯渇(こかつ)することなく
温泉
水のくみあげが,筆者の見解は後者に属すが、この事は特徴的な
温泉
帯水層を対比することで地層区分も可能になることを示唆している
通史編3(近世2)
(公娼と私娼)
次に私娼については、両浜の遊女が津軽領内の
温泉
場や弘前城下へ出てきて隠売女(かくればいた)となった場合,城下での隠売女については後述するが、「国日記」によれば、両浜の遊女が
温泉
場へ出てくることは禁止されていたにもかかわらず,また
温泉
場へ徘徊していることが発覚すれば、女を親元へ返し、一両の罰金刑に処し、女のいた町の同業者へも一両,しかし、女たちがこのような奉公に耐えきれずに、遊女屋から逃げ出して
温泉
場で稼ぐ者もあった。
通史編1(自然・原始)
(三 深部の地質)
三 深部の地質 深部の地質は、
温泉
開発が行われている深度三〇〇メートルから四〇〇メートル以深に分布する
通史編1(自然・原始)
(東西系の断層)
東西系の断層 東西系の断層は弘前市街地南部の泉質組成が異なる
温泉
の分布域に推定できる。
通史編1(自然・原始)
(四 地質構造)
四 地質構造 ここでは
温泉
の掘さく深度と泉質組成の分布に基づいて、津軽平野の地下に伏在する断層系について
通史編1(自然・原始)
(一 平野の地下地質の評価法)
津軽平野南部の地下地質を総合的に把握する本格的な試みは、岩井(一九七九・一九八〇)や酒井(一九八一)の
温泉
開発資料,その後、
温泉
開発が進展し、多くの地下地質に関連した資料が蓄積されるとともに、水資源開発を目的とした事業,このような背景を受けて、本節では、従来の資料に、その後に行われた
温泉
および水源開発ボーリングから得られた
通史編1(自然・原始)
(岩木山東縁断層)
岩木山東縁断層 津軽平野西縁部の岩木山東縁断層(仮称)は、炭酸ナトリウム型泉質組成の
温泉
および空中写真
通史編3(近世2)
(お山参詣)
同時にこの期間、岩木山の南西麓にある嶽(だけ)・湯段(ゆだん)
温泉
への入湯が禁止されており(「国日記」,元禄九年八月五日条・明和七年八月十日条)、地理的位置からいって、この両
温泉
は岩木山信仰と深い関係があったといってよい
資料編1(考古編)
(46.梨木沢凝灰岩部層Ⅷ)(なしきざわぎょうかいがんぶそう))
落合
温泉
付近~梨木沢・滝ノ沢~西股沢・大館山南縁から宿川原・尾開山~牛沢に分布する。
通史編1(自然・原始)
(透水性)
透水性
温泉
を貯蔵する地層の透水性は、弘前市街地でk=1.0×10-5cm/sec(青森県
通史編1(自然・原始)
(津軽平野中央断層)
津軽平野中央断層 津軽平野中央断層(仮称)は、
温泉
掘さく深度と泉質組成分布から推定されるもので、弘前市新里
通史編5(近・現代2)
(嶽籠城ストライキ)
四、五年生三〇〇人が参加したいわゆる嶽
温泉
籠城事件が起こったのである。,そういうことを不満に思ってか、翌年同時期に三年生約一五〇人が南郡竹舘村竹舘
温泉
に立て籠もるべく出発した
通史編4(近・現代1)
((四)津軽における社会主義勢力の伸長)
大正十五年夏、地下に潜っていた日本共産党幹部渡辺政之輔の誘いに応じて入党、同年十二月山形県五色
温泉
で開,雨森は五色
温泉
で行われた共産党再建大会に出席した。
通史編3(近世2)
(金木屋の生活)
高屋(たかや)村(現中津軽郡岩木町)の庄屋が嶽(だけ)
温泉
(現中津軽郡岩木町)へ入湯するので、見舞人を,二十八日、今朝、大道寺源之進と家族一同が、湯段(ゆだん)
温泉
(現中津軽郡岩木町)へ湯治へ行く途中我が家,〓の母が嶽
温泉
へ湯治の帰途に立ち寄る。我が家の稲刈りが今日終わったが実入りがよくない。,現北津軽郡板柳町)〓の亭主と尾上(おのえ)村(現南津軽郡尾上町)西谷(にしや)の後家(〓の妹)が、嶽
温泉
通史編1(自然・原始)
(津軽平野深部の地質)
② 津軽平野中央断層の東側の地質系統は、
温泉
水を含む地下水系を強く反映したものである。
通史編4(近・現代1)
(運送業の活躍)
その他市外行きとしては、中津軽郡岩木村百沢・岩木山神社及び嶽
温泉
方面行き、南津軽郡藤崎町行き、南津軽郡柏木町村
資料編1(考古編)
(-文献リスト-)
.青森県,P.1-6 ◇44 岩井武彦(1979) 青森県津軽平野地域における
温泉
群の研究.青森県,,◇45 岩井武彦(1980) 青森県弘前盆地域の
温泉
群の研究.青森県環境保健部,26p.,.青森県,P.1-14 ◇48 岩井武彦(1981) 五所川原市
温泉
特別調査報告書.青森県,P.1-,,第1集,P.6-9 ◇118 酒井軍治郎・宮城一男・岩井武彦(1963) 青森県南津軽郡碇ヶ関村
温泉
群,P.507-592 ◇160 原子昭・渡辺幸子・和泉四郎・西沢睦雄・寺田節子(1976) 青森県の
温泉
通史編5(近・現代2)
(弘前観光協会の設立)
弘前市の周辺には大鰐、蔵館、碇ヶ関の
温泉
もある。
資料編1(考古編)
(はじめに)
次に、地層の年代・
温泉
の位置及び深度・文献リストなどについて表示した。
通史編5(近・現代2)
([付図])
3年〉 4 富田大火~601戸焼失〈昭和3年〉 5 弘前中学生徒のストライキ~嶽
温泉
通史編1(自然・原始)
(海底火山の崩壊)
相馬安山岩類をはじめとして、深浦町艫作(へなし)崎付近に広く分布する凝灰角礫岩や、深浦町不老不死
温泉
の
通史編4(近・現代1)
(女学生の岩木山登山)
下山は山蔭よりして嶽
温泉
に一泊▲十四日午前七時帰途に就き岩木橋にて解散。
通史編4(近・現代1)
(師団誘致運動)
温泉
や飲料水に恵まれた衛生上の好適地であり、付近には原野が多いとも指摘している。
通史編3(近世2)
(城下の隠売女)
それは、遊女が領内の
温泉
場へ出てきて稼ぐよりも収入が少なかったことによると思われる。
通史編5(近・現代2)
(「草を刈る娘」について)
郷里弘前の町から、西の方の岩木山腹にある岳
温泉
に通う高原の道は、もっとも爽やかな印象を脳裡に止(とど),ある時、二、三日滞在した岳(だけ)
温泉
から帰って来ると、ひろい高原のところどころに、小さな部落のようなものが
通史編1(古代・中世)
(阿津賀志山の合戦)
飯坂
温泉
の近くをその本拠として、湯庄司(ゆのしょうじ)とも称されていた。
通史編4(近・現代1)
(あけび蔓細工業の発達)
あけび蔓細工の始まりは、岩木山の山麓にある嶽
温泉
の土産物として製産したのが濫觴(らんしょう)であるといわれる
通史編4(近・現代1)
(『東奥日報』従軍記者の書いた雪中行軍記)
零下二度、昼は零下一度、夕は零下四度なりし、切明村に宿る、村長相馬氏の尽力にて宿舎優待せり、この地に
温泉
資料編1(考古編)
(新編 弘前市史 資料編1-1 考古編 目次)
…… 48 第4節 弘前地域内の地質系統の放射年代一覧表 ……… 58 第5節
温泉
, ■カラー図1~24 …………………………………………… 巻末 <付図>
温泉
源泉分布図
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